ツキノワグマはすぐ裏山にいるのに…

 

ツキノワグマは増えている。
それも、近年はべらぼうに数が多くなっている。
10年も前からオイラはきちんと発信してきているけれど、この意見は「異端児」扱いをされてきた。
それが、今年あたりからは「ツキノワグマは増えている」に意識がだいぶシフトしてきているみたいだ。
そうなると、次にはどうすればいいか…。

写真の山にも、たくさんのツキノワグマがいる。
100頭なのか200頭なのか、どのくらいの熊を擁しているかは誰にもわからない。
しかし、四角で囲ったあたりを丁寧に10年間ばかり継続調査を続けていけば裏山の生息状況のある程度はつかめる(少なくも4~5頭は行動しているからだ)。
そのうえで、ポイントを変えて調べていけば、山全体の状況がわかる。
このような発想で全国版にしていけばいいのだが、そう考えることもできないといつまでたってもボタンを掛け違えただけの想像だけで終わってしまうだろう。
「山を見て木をみず木を見て山をみず」そのうえで野生動物を見る。
そう思うのも、自然を把握するスキルがないと、発想力すらも沸いてこないというものだ。
意識がそこに辿りつくまでには、あと10年はかかるのかな?
さらに、そこから次なる発想に至るにはこれまた10年…。

いまから30年後には、日本の人口は激減をする。
そのときは、この風景のなかにもイマでは想像もつかないことが起きてくだろう。
少なくも、四角く囲んだあたりだけにでも関心を示してもいいものだが、地域住民も行政も裏山を普通にツキノワグマがひっそりと行動しているなんてまったく思ってもみないからだ。
自然を語るには、時間軸も人間社会学も必要だ。
加えて、動物のもつ生理生態学、死の生態学も同時に考えていかなければならないコトだからである。

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ツキノワグマの実態を探るには…

 

ツキノワグマが人を襲う事件が、今年もいよいよニュースに乗るようになってきた。
すでに死者も何人か出ているし、ツキノワグマの爪と牙は半端ないから顔などをやられ生き残ったとしてもその後の人生の将来を奪われかねない重篤な被害となる。
ここ10年ばかりで確実にツキノワグマの反撃事故が多くなってきているのは、ツキノワグマが日本の自然環境に着実に増加してきているからだ。
それでなければ、これだけの事故率は上がってこない。

ツキノワグマは全国に何頭いるのか、どれだけ数が減少すれば厳重に保護し、どれだけ数が増えてくれば「余剰」部分を積極的に捕殺していけばいいのか。
環境省や農水省あたりが、もうとっくに結果を出していてもいいのに、それが全く出来てないのも疑問だ。

森林率が70パーセントのイマドキの日本の自然環境なのだから、ツキノワグマの個体密度を調べるには「道の駅」のような発想で全国に何カ所かのポイントを設けてオイラが開発した「クマクール」を設置すればおおよその見当がつく。
ついでに「マタミール」も併用すれば、その地域のツキノワグマの雌雄や年齢構成なども読みとれる。さらには、個体識別をするためにロボットアームを使った麻酔などで、検体確保も可能となりDNAなどの情報も得られるから総合的なプロジェクトでの調査は可能、だ。

人口密集地の都会に住みながらツキノワグマ保護を唱えることも、地方で被害が身近で起きている地域でも、とにかくすべてにおいて日本の自然環境に無関心さがイマは露呈している。
それに対して、もっと自信をもってきちんと発信できる研究者や専門家が出てこないのもあまりにも不思議すぎる日本国…。
人口減となる30年先を見据えながら今日おかれている日本の自然環境を予測すればそれはそれは実にオモシロイことになるだろう、とすでにオイラには結果が見える。
先読みをし、イマを知り、過去を洗う。
そこには確かな直感力とスキルと行動力さえもてば、ツキノワグマの実態なんて探れないはずはない、と思うからだ。

 

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「クマクール」を管理するにはそれなりのスキルがいる。

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それは、見えない森のなかでのツキノワグマの動きがオモシロイほどみえてくる。

 

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ツキノワグマは「人を食う」

ツキノワグマは「人を食う」野生動物である。
アフリカにハイエナがいるように、ツキノワグマは日本の「ハイエナ」だからである。
いわゆるスカベンジャー。
自然界での野生動物の位置づけは、このようにちゃんと意味があって決められ生息を許されているからである。
そうすれば、“神隠し”なる理由も理解することができるだろう。
平安時代や鎌倉時代から、土葬の人を掘り出して食ってもいた。
腐敗が猛烈に進みウジだらけになった「ウジ」の躍り食いだって、一晩に3回もウジの成長を待ちながらするのもツキノワグマの宿す生態でもある。

日本社会も、そろそろ、このことに気づいてもいい時代なのだけれど。

 

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腐敗の進んだニホンジカの死体を食うツキノワグマ。

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気温にもよるが、時にウジは2時間で急成長を遂げる。そのウジの成長を昼寝して待ちながら雨の夜間に3回のコースで出現してきてこのクマはすするようにきれいに「ウジの躍り食い」をしていった。

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ツキノワグマは日本の自然界に何頭いるのだろうか?


ツキノワグマは、夜間は大胆に昼間はひっそりと行動する傾向にある。
ツキノワグマは真っ黒な体をしているので、夜間は目立たないということを自分でも充分に知っているのは確かだ。
しかも、ヒトの気配を感じたときには足音をピタリと消して歩くこともできる。
だから、夜間は2mのところにまでツキノワグマがやってきてもこちらは気づけない。
そのくらい、彼らは忍びの術に優れているのである。

そんなツキノワグマなのだから、コンスタントにツキノワグマに出会えてしかも撮影までできる人は日本に何人いるのだろうか?
ツキノワグマに出会ったこともない、出会えないヒトたちが内容のない書物やニュースに接し、自分の浅はかな知識範囲だけの「空想」や「想像」で解釈してモノを語り発信するのはあまりにもマズイことである。
それこそが、ツキノワグマを間違った方向へ導き社会混乱をきたす原因になるのだから…。

いったいツキノワグマは現代日本の自然界に何頭いるのだろうか…?
全国各地でそれを調べることは、出来る。
セオリーどおりの生態調査でなくてコロンブスの卵のような大胆な発想転換をしたアイデアと行動力と予算さえしっかりしていれば、それは可能だからである。
発想力に乏しく身銭も切れないようなどんぐりの背比べ研究者が100人、1000人集まってもできないものは出来ない。
それがイマドキ日本のツキノワグマ事情であり、現実には現場でツキノワグマはどんどん殺され「ジビエ」ブームを背景に大トロや高級牛肉より安い値段でクマ肉がしっかり流通していることも確か、なのである。
ツキノワグマの数が少なければ「クマ肉」が安く潤沢に出回ることなどないではないか?
その肉を得るための捕獲方法もしっかり確立されているから、現場主義者は研究者よりツキノワグマの生態に精通していると信じていいいからである。
そのツキノワグマ捕獲方法とオイラの「撮影方法」はまったく同じなのだから、これまた笑えてしまう。
「捕る」と「撮る」は、同義語だったのだ。

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夜は大胆に、昼間は控えめに…。

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シカやイノシシ肉と値段はほとんど変わらない安さでクマ肉も食べられる…。

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ツキノワグマは増えている

 

ツキノワグマによる人身事故がいよいよニュースに載る季節となってきた。
ここ20年ほどでツキノワグマは圧倒的に数が増えており、数が多くなればそれだけ事故率もあがるというものだ。

『ツキノワグマは増えている』  …
っと、オイラは10数年も前から「ツキノワグマ事件簿」のブログで語ってきた。
しかし、クマ愛誤団体やら研究者、NPO関係者など専門家たちからは「クマは減っている…」と猛烈に反発されてきた。
某写真家などと揶揄もされながら…。

どんな野生動物でも生態写真を撮るには、現場を知らなければ撮影などできない。
しかも、直感力から次を予測してこちらが積極的に働きかけなければ撮影もできない。
それには、最高度の撮影技術力が求められる。
そのどれもができなければ、ツキノワグマが増えているといった予測もできなければ結果も出せないし分析もできない、からである。

はっきり言って、みんな技術不足なのである。
だからオイラがヒントを提供する必要もなくなったので、「ツキノワグマ事件簿」を更新しないまま2年が経過した。
まだ、読める部分が残っていると思うけれど、あそこの好き勝手なコメント欄をみて裏心理を分析すると現代社会の専門家といえども一般レベル自然観が見えてくるからオモシロイ。

ここは、ツキノワグマをはじめとする野生動物たちにもっともっと暴れてもらわないと日本社会の自然観は変わらないからである。
この先、ツキノワグマをはじめ野生動物たちとは半世紀もの長い闘いが続くことだろう。
それは、「学会」や「シンポジウム」に関係なくツキノワグマや野生動物たちは日本の自然に合わせた本来の生きざまを淡々とつらぬいていくだけなのだから…。

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人工林の杉林
を行動ルートにしている親子グマ。このくらいの小グマは母親と一緒になって襲ってくるから要注意。

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この一連の写真は講演などではかなり見せてきているが、こういうところでの発表は少ない。ここから何を読み解くかは、その人の自然観の力量次第。

 

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「野糞」で知る環境エコロジー

コーヒースプーン一杯分の土(表土)には、一億匹の微生物がいると言われている。
そんなことを聞いて、オイラは「野糞」に興味をもった。
それまでの野糞はただ地上にやっているだけだったが、表土を10cmくらい掘ってそこに用を足してから再び土をかけて埋めてみた。
そして、24時間経ってから掘り返してみたのである。
まあ、これが他人のものだったら腹が立つかもしれないが自分のものなので掘り返しも許せる…。

で、驚いたことに24時間でニオイもカタチもなくなっていたことだった。
この発見には、ほんとうに驚いた。
土中には糞を食って分解してしまう何かがいる、という凄さを感じた。

以来、土中の微生物の存在が知りたくて野糞の実験をずうーっと30年以上もやり続けている。
そこで、気づいたことは野山に新緑が芽吹き紅葉するまでの期間ならほぼまちがいなく24時間で糞が分解されてしまう、ということだった。
そして、冬場になると微生物の活動が鈍り、環境によっては1週間~10日の時間がかかることも分かった。
こうした発見から、健康な表土のあるところなら人間ひとりの糞は2m四方の土があれば年間を通して分解ができる、と気づいた。
それには、スコップで掘りながらしっかりローテーションをくりかえしていくのだが、これが楽しみでもあった。

このあと、杉林、檜林、雑木林、照葉樹林、竹林、田んぼの土、休耕地…etc。
いろいろ実験をしてみたが、それぞれの環境に応じて分解速度がちがっていたのにもひとつの発見があった。
結論からいえば、雑木林や休耕地がもっとも土中微生物が多いとわかったからだ。
まあ、ここまで書けばあとはそれぞれに実験してみるといいのだが、自分の糞尿を水洗トイレだけで処理するという選択肢しかないというのは自然界のもつ力を信じられない気の毒な生き方だと思う。
実際に野糞をするには人目が気になるが、ベニヤ板などで1m四方の軽い遮蔽物をつくってそれを移動させていくだけでけっこうかなりカンタンに実行できるのではないか…。
しかも、最終仕上げにトイレットペーパーを使わずに「インド式」という発想で水をペットボトルに入れて処理すればかなりエコでもある。その作法としては、まずは指先を水で濡らしてからすること。これだと、ほんとうにラクになるから不思議、だ。
そして、「痔主」対策にもなるからこんなに健康的なことはない。
あとはタオルなどで水分を拭き取ればよろしい。

まあ、地球が大家さんで店子である人間が生きる基本はこれだが、人口が一極集中型となって人が集まりすぎると「食う」「寝る」「野糞」にもいろんな角度からの発想転換が求められるということである。
環境を語るには難しいことより、このように「野糞」からでもカンタンにエコロジーを知ることができるからだ。

そういえば、
「くう・ねる・のぐそ」の著者である伊沢正名氏はオイラが若い頃から影響をうけた野糞の師匠である。
また、拙著「森の365日」は四季七十二候をテーマにしながらフクロウの生態を追いしかも野糞にまで言及しているので参考にされるとよい。この拙著は高校生の課題図書にもなり、出版部数が多いので密林にいけば1円で入手できる。

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テント張りは木陰がイチバン

熊本にイマ支援できるのはモノではなくて金だろうから、今朝は「ゆうちょ銀行」からほんの少しで申しわけないが送った。
ゆうちょ銀行での送金は初めてだったが、ATMの案内に沿ってやることができた。

そのあと、ニュースを見ていたら、現地はけっこうかなり気温が上がっているらしい。
車中泊者のためにグランドに張られたテント群をみて、炎天下のテントはどのくらい地獄かというものをつい思ってしまった。
テントは木の下などの日陰に張るのがイチバンだからである。
グランドではなくて森の中とか木陰になんとかならないものだろうか、と思ってしまった。
こういう経験を積むと、晴天や雨天や強風やらを体験しながら「自然」のもついろんな意味を理解できていくのではないか、とつい同情してしまう。

車中泊にしても、人を乗せて運ぶだけのコンセプトで開発された車と荷物を運ぶことまで配慮した車での利便性にイマ気づいている人も少なくないと思う。
また、これまで「内装」や「乗り心地」だけにこだわってきた車開発が車中泊をしてみればそれらがいかに邪魔で無駄だったことにも気づくだろう。
後部座席がフラットになる車選びがこういうときに必要になってくるのだが、これもまさに体験しなければ分からないことだ。
とにかく、こういう機会だから文明とはなんぞやモノづくり人間工学とはなんぞや、といろんなことを思い考え元気になってもらいたい。

トイレからノロウイルスも出たというから、食だけでなく排泄物の意味も考えるよい機会だと思う。
明日は「野糞」のもつ自然界の驚異をオイラの体験から語って見たい、と思う。

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ニホンカモシカの半世紀

1966年といえば、いまから50年前だ。当時のニホンカモシカは「幻」といわれ絶滅寸前でもあった、らしい。そして、写真がほとんど撮られてない時代でもあった。
この年にオイラは中央アルプスでニホンカモシカに出会い、夢中で写真を撮るようになりやがて写真家として一枚看板をあげることができた。
あれから50年。
イマドキのニホンカモシカは道路際にまで出没する時代となった。
この背景には何があったのか …?
「森林破壊」と「森林飽和」 …。

シナントロープ …。

半世紀を経た今日、これはツキノワグマやニホンザルにそっくり当てはまる。
こまでズバリ思索できると、日本の自然界の見方ががらりと変わることに気づく。
いや、気づかなければならない時代にきているのだけれど。

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30年後の人口減と同時に考える日本の自然界

昨夜(2016/03/06)のNHKスペシャル「被曝の森 原発事故5年目の記録」は名作だった。
このあと、30年後、50年後、100年後に向けたポリシーで日本の自然環境を記録していくことはとても大切なことだからである。
その意味でも、「5年目」の記録はイマドキの時代を読むのに重要で大切なスタート地点でもあるからだ。
ある意味、人材不足、資金不足、視野視点不足、モチベーション不足に加えて「無関心」に陥りがちだが、多くの人に関心をもってもらいイマを記録していくことはイマ人に課せられた大切なテーマだと思う。
それは、あの番組だけをみて「被爆」のことしか考えられないようではあまりにも想像力がなさすぎるからだ。

自然界の回復力や野生動物の生命力を考えると、この先30年後には猛烈な人口減となる日本。現実的には都市だけに人口が集中して、地方の過疎地や限界集落が今回放送された被爆の森と同じ現象になるからだ。ただ、そこには放射能というものがないだけで、自然界の生命力に人間が負ける日がそこまできている、と思わなくてはならない。
そんなことにも気づかずに、脳天気に構えている現代人がオイラには笑えてしかたがない。
学者も行政も個人も…、とにかく自然界というものを甘く見過ぎている。
30年後にある地域では、これまで耕し利用してきた土地を野生動物に明け渡すときがくるからだ。
そこで、慌てても遅いからである。

いま、ほんとうに日本の自然界とはどういうところにきているのか、イマ気づくべきなのだ。
そのための、ヒントがいっぱい詰まった番組だった。
番組ではアライグマがあまりにも増えて出番も多かったが、2013年にオイラも南相馬市内で撮影したときには驚愕した。
津波で流された住宅跡地に無人カメラを設置していたらアライグマがいきなり写ったからである。そのときに、まさかと思ったがもう手遅れ状態で東北地方に激増していくことだろう。
まさに、「シナントロープ」を手玉にとって生きている外来動物といえた。

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小さなネズミで撮影スキルを探る

フェイスブックをはじめて数年になるが、顔と本名が見えるところがいい。だから、ある意味で安心して発信できるのだが、なかには通りすがりもいる。
なので、一般公開と【友だち】限定で発信記事も書き分けているけれど、それでも怪しげにすり抜けているヒトもいる。

かたくなに、匿名性を保とうとするヒトもたしかにいる。
ブログなどネット社会では、匿名性をいいことに書き捨て放題のヒトも多い。なので、オイラはブログでは返信コメント欄を禁止にした。

まあどのようにしても悩むところはあるけれど、いろんな意味で認識リサーチもはかりたいからやっているだけ。
もっとも、どのみち公開できないようなコトもたくさんあり、それはそれで個人的付き合いのなかでやっていけばいいと思っている。

 

こんなノネズミの写真なんて撮ろうと思うヒトは少ないと思うけれど、これを撮影するだけでも大変なスキルが要る。
それは、やったものだけにしか分からないスキル…。
これはヒメネズミといって我々の親指くらいしかないネズミだが、自然界ではそれなりに意味をもって生きている。
この撮影をするようになったら本当に面白くて、どうやらネズミだけで1冊の本ができそうになってきた。

それは、自分への撮影技術の確認と同時に、この小さな生物の存在を知らしめたい気持ちだけが心を動かしているからだ。

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