2010-08-21 Sat  [ 環境・ゴミ・現代社会 ]

ヘアヌードに囲まれたツキノワグマたち

by gaku


8月20日発売の9月3日号写真週刊誌の「フライデー」。
ここに、「となりのツキノワグマ」の紹介記事として、オイラのツキノワグマの写真が掲載されている。

フライデーだから、相変わらずの美女ヌード特集だが、そこに挟まれるようにツキノワグマの「ヌード」が健闘しているから笑える。
ここ数日、ツキノワグマは相変わらず全国で人身事故を起こしているが、ツキノワグマの人身事故が起きるたびにマスメディアが現在の自然界で何が起きているのかといった時流を考えないコメントを流すから、ツキノワグマのことがかなり曲解されてしまっている。

それに対して、オイラの見解がフライデーのような読者層のちがうところで紹介されることは大切なこと、なのである。
ツキノワグマは、確実に増えているからである。
それを調べる手立てが、研究者にも専門家にも行政にもないから、相も変わらず「餌不足で里に下りてくる」のだといったようなコメントがマスメディアを席巻するだけである。



オイラは、「クマクール」と「マタミール」という方法で、ツキノワグマの個体数を調べている。
こんなアイデアと技術を使い切れるのは世界でもオイラしかいないから、自然界の報道写真家として世間一般のツキノワグマ認識を知っていくのも実に面白いゲームと思ってやっているにすぎない。
そのツキノワグマたちが、マタミールでは頼みもしないのに「M字開脚」ポーズをとって雌雄の区別をみごとに見せてくれるあたりは、まさに余裕でツキノワグマのことを語れるというものである。
美女のヘアーヌードに負けず劣らない悩殺ベアヌードを見せてくれているこの野生のツキノワグマを撮影する技術は、スゴイことなのである。
誰も言ってくれないからオイラが自分でいうしかないけれど、この方法をもちいれば現在のツキノワグマの全国での個体群識別の実態把握にはかなり近づける、と思っている。



写真:
1)「フライデー」9月3日号。
2)クマクールにきた若いツキノワグマ。
3)マタミールの左はメス、右はオス。

2010-08-18 Wed  [ 環境・ゴミ・現代社会 ]

自然界には魔物が潜むもの…

by gaku


北海道で、大学生が増水した川に流されて遭難したらしい。
犠牲者にはお気の毒だが、こうした事故はちょっと注意すれば防げたことだと思う。

報道で得ただけの情報だが、沢登り中に川でテントを張ってビバークしていたらしい。
そこに、鉄砲水がやってきて、テントごと流されてしまったそうな。
なんとも痛ましいことだが、川にテントを張って眠ること事態すでに自然を推しはかる判断力を欠いてしまっていたと思う。
こんなときに、複眼発想のできる年配者がついていれば、このような場所にはテントを張らせなかったのではないか?

人間を含めて、野生動物がもっとも無防備になるには4つの要素がある。
飯を食っているとき、脱糞をしているとき、熟睡しているとき、SEXをしているとき。
だから、人間だって家の中では食堂やトイレ、寝室が決まっていくのはそのためである。
野生動物にも、そうした配慮をするものも少なくない。

自然環境には、必ずサインがあるものである。
川だって、どこまで水が増えるかといったサインは、周辺の樹木をみればすぐにわかることだ。
ましてや、その川がどこに続いているのかは、地図をみれば分かることでもある。
そして、天候なども推しはかれば、上流からの増水というものをたえず視野に入れておかなければならないだろう。

その昔、オイラは若い大切な弟子を南アルプスで遭難死させてしまった。
単独登山をしていた弟子は、大岸壁の真下にテントを張って寝ていた。
そこに、落石が直撃してしまったからだ。

現場に供養にいったとき、オイラは愕然とした。
テント地には、苔の生えた古い石から新しい石まで、無数に落ちているではないか。
落石の巣窟にテントを張って、彼は長時間もっとも無防備となる「熟睡」をしてしまったのである。
もしオイラが一緒にいたならば、彼をぶん殴ってでも、落石の危険性を教えたであろう。
しかし、すべてが後の祭りだった。

自然界には、教科書なんてないと思う。
その教科書は、いろんなサインを読みながら自分でつくっていくものだ、とオイラは思っている。
それには、絶えず気配りをして現場でのサインを見落とさないようにすることが大切なのである。
こんな話しを、15日行われた横浜でのトークショウでもやったばかりだった。
自然は、油断したりナメてはいけない世界、だからである。

写真:
ホタルブクロは、別名「雨っぷり」ともいう。
この花の時期は、雨がよく降る季節でもあるから、増水にはほんとうに注意しなければならない。


2010-06-23 Wed  [ 環境・ゴミ・現代社会 ]

獣害を考える 12 「シカが口蹄疫のキャリアになれば…」

by gaku


長野県のとある高原にある牧場。
ここには、毎年数百頭の牛たちが放牧されている。
今年は、九州に口蹄疫が発生しているからどうなのだろうか、と訪ねてみた。
牛は、何事もなく高原の涼しい風に吹かれてのんびりと牧草をはんでいた。
なんともおだやかで牧歌的なすばらしい光景だろう、か。

そう思って眺めていると、背後の森からニホンジカがぞろぞろぞろっと現れてきた。
あ、や、やや、すごい数だぁー。
牧場は、牛だけのためにあったのではない。
野生のニホンジカにとっても、牧草はご馳走だったのだ。
牛が食べても美味しいのなら、シカにだって美味しいハズ。
しかも、牛と同じ場所で食べているのだから、美味しいところがシカにもわかっているのだった。



この光景を見て、あまりにも漫画的で、もう笑いがこみ上げてくるしかなかった。
人間がよかれと思ってやっているところを、森の奥から虎視眈々と狙いをつけ、やがて自分たちのものにしてしまう野生のニホンジカたち。
そして、どんどん増殖していく。

背後の森には、100年もののモミやツガの立ち枯れが見える。
たぶんあれは、シカが樹皮をかじってしまったから枯れてしまったのだろう。
森に入ってみれば、たしかにその通りだった。
牧場で栄養価の高い牧草という餌を奪い、森では冬の食糧危機を樹皮食でしのぐ。
牧場も森も、まさにニホンジカにとって「餌づけ」場所になっていた、のである。



こんなところに、「口蹄疫」が出たらどうするのだろうか?
もう、ほぼまちがいなく人間はなすすべもなくなるにちがいない。
これほどたくさんいるニホンジカを捕獲隔離することは、絶対にできない。
そして、ニホンジカが口蹄疫のキャリアになれば、仲間内に次々とキャリアを増やしていき、もうそこで偶蹄類の家畜は全滅であろう。
経済動物なのだから、経済だってマヒしてしまう。
ここまでは、現在のところでもオイラのような素人にも充分考えられることである。

今後は、家畜伝染病を視野にいれるなら、完全防備をした「工場」のような建物内で肉牛を飼育肥育するしかないだろう。
そう思いながら、牛とニホンジカの牧草コラボを見ていたら、オイラにはこのシカたちを一網打尽にできないものだろうか、と考えてしまった。
これは、丁寧に時間をかけてやっていけば、それも可能であろう。
そう発想の転換をはかってもよいし、もうそろそろニホンジカの大量捕獲を真剣に議論してもいい時期にきているのではないか、と思った。
いや、これまでそのような発想にならなかったことのほうが不思議だし、アイデアがなかったのか、すでにもう手遅れのような気さえもする。



家畜は「農水省」、ニホンジカは「環境省」。
シカの潜む背後の森林管理は「林野庁」、牧場のある地域は国定公園地だから「長野県」。
なんだか、管理行政がけっこうかなり入り乱れているけれど、人間の行政ナワバリをよそに、ニホンジカはどこの行政区にも関わりをもちながらここでは猛烈な勢いで増加中なことだけは、確かである。

写真:
1)牛とニホンジカと立ち枯れ樹木。
2)霧の晴れ間に、どんだけーっといった数のニホンジカが現れていた。
3)森林内の針葉樹はことごとく樹皮がニホンジカに食われていた。幹の周囲を一周皮剥ぎがされると、樹木は枯れていく。
4)口蹄疫には神経を使っているようだったが、見ているところが違うような気がするのはオイラだけ?





2010-06-12 Sat  [ 環境・ゴミ・現代社会 ]

植樹祭に思うこと…

by gaku


先月の29日に、中央アルプス山麓で「植樹祭」が行われた。
県知事なども来たそうで、関係者の全県参加で周辺道路の交通整理にも、ものものしさが感じられた。

お祭りが終わったあと、オイラは植樹祭のあった現場に行ってビックリした。
これまであった立派な森を、きれいに切って整備して、そこにいろんな苗木を植えてあったからだ。
植樹祭というお祭りは、このようにたいへんな税金をつかいながら自然をねじ伏せて行われるものなのかと、腑に落ちないところがあった。



これまでの林は、ほんとうに素晴らしいものだった。
植林ヒノキなども50年ほどたっていて、その間にはクヌギやコナラ、クリ、ヤマザクラ、アブラチャン…などが、それはそれは実生から自由に発生してきていて、針葉樹と広葉樹のバランスのとれた理想的な林にできあがっていた。
だから、ツキノワグマをはじめ、カモシカやサル、イノシシ、モモンガ、ムササビ、リス、テン、アナグマ、ノネズミ…、それに森林系の野鳥たちがほんとうにたくさんやってきて安心して暮らしていた。
それこそ、ある意味では理想的な「ふるさとの森」ができあがっていたのである。



そこを、きれいに伐採して、地ならしをして、これまであった樹木と同じような種類の「苗木」を植えなおすことが、県民が集って行う長野県の「植樹祭」というものらしい。
これは、ちょっとおかしいのではないか、と思ってしまう。
災害で土砂崩れのあったような場所に苗木を植えて森づくりを考えるなら税金のムダ使いにはならないと思うが、一旦できあがっていた素晴らしい林を切り開いて「お祭り」をするのは、やはりどう考えてみてもおかしすぎる。



もっとも、近年は、広大な面積の伐採が行われないから、ある意味ではこのように伐採するのもいいのかもしれない。
ひょっとしたら「ノウサギ」や「ヨタカ」のためにも、切ったほうがいいこともある、からである。
まあ、こうして植樹された苗木は、あと40年もたてば、これまであった「林」と同じような環境ができあがることだろう。
それを次世代に「森」といって見せるのもよいが、これまであった林にさらに50年の時間が積み重ねられていれば100年の理想的な「森」になっているハズ、だ。
その森を次世代に見せたほうが、「先人はやっぱり共生を考えていたんだ」と思ってもらえて、オイラはよかったと思う。
その意味でも、今回の「植樹祭」は、せっかくできあがりつつあった理想的な森づくりのこれまでの50年間という時間を振り出しに戻してしまったような気がしてならない。

だからこの植樹祭に参加された県民のみなさんは、たった1日だけのお祭りに参加して終わるのではなく、木を切れば大きなダメージを受ける生物がいて、木を切ることによって大喜びをする生物もいることを同時に考え知り、そのバランスをどうとっていくかといった視点で「県民の森」を見届けていってもらえればありがたいと思う。
樹木時間と人間時間は、基本的に時間軸がちがうのだから、そのへんのところを「お祭り」から読みとってもらえればいい、からである。



写真:
1)植樹祭の行われた証…
2)これまでの林は左のような環境だった。それを、右のように「きれい」に整備してお祭り現場となった。
3)植樹した種名を明記してあったが、ヤマザクラがあったところにオオヤマザクラも植えたらしい。オオヤマザクラは、元々ここにはなかった。
4)土砂崩れで工事がやっと完成した現場、このようなところへ植樹すれば「お祭り」の意味もよくわかるのだが…
5)10年前にテンを撮影した50年モノのコナラの木も、バッサリ切られてしまった。


2010-06-08 Tue  [ 環境・ゴミ・現代社会 ]

ヨタカはやっぱり帰ってきた

by gaku


以前、「星になったヨタカが帰ってくる日」 と題してブログを書いた。
これには、自然界に対する自分自身の確かな裏づけがあったから、オイラは書いたのだった。

その現場に、昨夜でかけてきた。
そして、そこには「ヨタカ」がいた。

薄暗くなった19時40分。
小さいながらも確かにヨタカの声が聞こえてきた。
その後、ヨタカの声はどんどん大きくなり、上空を飛んだり、切り株に舞い降りて鳴く姿を目撃した。
久しぶりに聞く懐かしい声と共に、自分の読みがピタリと当たったことに思わずほくそ笑んでしまった。
200ルーメンのスポットライトで確認すれば、ヨタカの目が上空でも地上でも反射してきて、これからはじまる自分自身への賭けがみえてきた。

「賭け」とは、ヨタカの巣をさがすこと、である。
巣を偶然みつけたり、人のみつけた巣に案内されて見たのでは、それは自分の実力とはいえない。
あくまでも自然環境をすべてひとりで読み抜き、ヨタカ夫婦の心理をズバリと予測して、巣さがしという結果を出すことがオイラにとってのパーフェクトな賭け、だからである。

ヨタカは、地上に巣をつくる。
そして、卵は2個。
抱卵日数は、20日くらい。
とにかく、「地上」という習性から、巣と卵は見事に周囲にカムフラージュされているから探すのは至難の業がいる。
このヨタカの巣やヒナをオイラは8~10歳のときに何回か見つけたことがあった。
しかし、どれも山遊び中の偶然で巣に当たったものだった。
だから、50年の歳月を経たいまになって、幼児体験の確認作業としても、ヨタカの巣を独力で探り当てたいと思っているのである。
「難しい」「至難」というものには、とにかく挑戦してみたくなるのがオイラだからである。

ヨタカにこれまでこだわるのは、「自然環境とは何なのか」といったすべての「環境」を自分自身で納得がいくまで解き明かしたいと思うからだ。
薪炭の歴史から電気、ガス、石油へのライフエネルギー変化によって、ヨタカの生活史にまで関係していっている「環境問題」に、自分自身で答えを出しておきたいのである。
その答えが、ヨタカの巣さがしですべて見えてくるからである。

昨夜の観察現場では、フクロウが鳴いていた。
それも、500mの間隔に2羽の雄がいて、鳴き交わしていた。
また、雌ジカも放棄田に出てきていてオイラを見て、大急ぎで逃げていった。
ハクビシンも、林道をひょこひょこと尻をふりながら土手下へ消えていった。
遠くに見える街の灯りのもとで、ネットサーフィンしながら環境論を探るよりも、こうして現場に出ればナマのいろんなサインが自然界からは出ている。
そのサインをどう読み、感じて想像へつなげ、答えを出していくか。
自然を探るには教科書なんてないのだから、ちょっとしたサインから創造していくしかない。
たった数時間のフィールド体験だったが、こんなにも濃い体感ができてしまった。


写真:
この上空をヨタカは軽やかに舞い歌ってくれた。遠くの街の灯りにはそれぞれに現代人が関係しているのだろうが、ヨタカがどんな野鳥なのかと関心をもつ人たちはひとりもいないことだろう。



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