2006-11-27 Mon  [ 哺乳類・野生動物 ]

ツキノワグマに襲われて重傷

by gaku


9月20日の朝、登校中の中学生男子生徒が長野県小谷村でツキノワグマに襲われた。
顔などに重傷を負って入院中だったそうだが、最近になって退院をされたようだ。
2ヶ月におよぶ入院生活の長さからいっても、たいへんな被害だったことがうかがえる。

このあいだにも、PTAなどを中心に募金活動が行われていたことは、地元長野県内の新聞などで報道されていた。
医療費ばかりか本人や家族にはかりしれない悲しみをもたらしたのに、
「熊は希少動物だから殺してはならない」
「襲われたのは歩いていたほうが悪い…」
などといった、動物愛護団体などに属する人たちからの電話が村役場に殺到していたようだ。

都会で「通り魔」が人を刺したりすれば大ニュースとなって犯人を憎むが、長野県などの山間地ではまさにツキノワグマが「通り魔」なのである。
都会と地方との自然に対する認識の違いがこれほど極端に出ることにボクは驚きを禁じえなかったが、現代人という動物ほど自然をきちんと理解できていないのだなとも思った。
そのためにも、自然界の報道写真家として今日起きている自然界の事実を正確に伝えなければならないと強く感じた。

これを、昨日は山梨県の清里であった講演会で話した。
「フクロウ」を知るためにボクを呼んでくれた団体(八ヶ岳自然クラブ)なので、自然界のフクロウのことを話したのだが、自然界は大きな時間軸でフクロウからツキノワグマまで「樹洞」めぐりでつながっていることを伝えたのだった。
その流れで、上記の募金活動のことを聴衆につたえたら、講演会終了後にはなんと「47,253円」もの募金があつまった。
まさに感謝の気持ちで一杯だったが、このように善意で自然界をきちんと理解しようとしている人たちにはボクの技術は惜しみなく伝えていきたいと思った。

ここで再び繰り返すが、ボクは動物愛護派でも狩猟派でもない。
しかし、すべての生物は好きである。だから、すべての生物の生活史を知りたいし、それにいたるまでのプロセスが楽しいからやっているだけである。
だから、ツキノワグマのことをほんとうに調べたいという気持ちのある人には、それなりにボクの技術だって伝えることはできる。
動物愛護団体の人たちがツキノワグマの生命を救おうとしていることは分かるが、その前に野生のツキノワグマのことをもっと「知る」ことからはじめても遅くないと思う。

■募金先■
大北農業共同組合 
おたり支所 
口座:普通0001097
名義:小谷中学校PTA募金口座
※11月30日に、この口座はいったん閉じられるそうです。

写真:ツキノワグマはときにはぞっとするような表情を見せるときがある。前足の爪は強力な破壊力をもっている。

2006-11-20 Mon  [ 旅・取材・人 ]

東京都渋谷駅「忠犬ハチ公」のあしあと

by gaku


目的地まで、渋谷駅経由でいく講演があった。
若干の時間があったので、渋谷駅で30分ばかり時間つぶしをした。
時間つぶしといっても、東京都内には何箇所かのドブネズミポイントがあり、ボクは上京するたびに時間ができると立ち寄ってチェックしている。
渋谷駅も、もうかれこれ20年近くこのような観察を怠らない。

そのための時間つぶしだったが、ドブネズミorクマネズミの巣穴をみつけると「元気だったかぁー」と、うれしくなってしまう。
都内では、ドブネズミだけは徹底的に駆除されてしまうから、長年観察を続けているポイントでもいきなり消滅なんてことがあるからだ。



渋谷駅周辺のネズミたちも、最近は包囲網が築かれていることは承知している。
しかし、ネズミをいまの人間が完璧に駆除することは不可能だから、その攻防戦をみとどけることにボクは最大の興味があるからである。

駅周辺のある植え込みの下には、見事なネズミたちの巣穴があった。
これを確認して、シメシメと喜ぶのはボクだけだろう。
こうして、ちょっとした確認作業をするだけで、とりあえずはボクの観察にはなるからだ。



安心した気分で地下鉄に乗ろうと地下街に潜ったら、そこには「足跡」。
ははーん、ハチ公の足跡だなと思いながら、そのユーモアで渋谷駅を語っているのにまた嬉しさがこみあげてきた。
おもわずコンデジをだしての撮影だったが、こんな足跡を写しているオヤジには通行人もまったく無関心だった。
ボクは、ワイドレンズで足跡をいれながらスカートの女性を待っていたのだけれど。

2006-11-17 Fri  [ 鳥類 ]

時代適応をいそぐカンムリワシ

by gaku


西表島での取材を終えて連絡船に乗るために、知人の車で港へ送ってもらった。
15分ばかり時間があったから、ちょっと寄り道しようということでこんど新しくできる道路工事状況を見に行った。

現場に着いたら、なんと、そこにはカンムリワシの成鳥が迎えてくれたではないか。
カンムリワシは台風で幹が折れたモクマオウの枯れ木のてっぺんに、とまっていた。
まさに、工事現場のどまんなかである。

工事現場ではパワーショベルが土手をけずって、その土をダンプカーに載せていた。
重機の音が激しく響いているが、カンムリワシはまったく警戒もせずに枯れ木からショベルカーの動きをみつめていた。

カンムリワシのこの行動は、あきらかに餌をさがしていた。
そこまでわかって状況を察すると、このカンムリワシはパワーショベルが土を掘りだしたときに飛び出してくる「カエル」を待っていたのだ。
場合によっては、ダンプカーに積まれた土からもカエルが落ちてくることもあるだろう。
ダンプカーが目の前を走っても飛び立たないところをみれば、まさしくこのカンムリワシは工事現場で「餌」がもらえることを学習していたのだった。
それは、いつ餌にありつけるかわ分からないが、とにかく辛抱強く待ちつづけていたのだった。



天然記念物のカンムリワシが、こうして時代を生き抜こうとしている姿がボクには面白かった。
いや、それを「面白い」といってしまうと、
「自然状態で本来ならば餌を捕らなければならない湿地帯などが埋め立てられて少なくなってしまったから、こうして新しい方向へ脱皮せざるをえないのだ。」
と、自然愛護派からクレームをつけらるかもしれない。
それもごもっともだが、西表島も急速に文明変化に洗われているのだから、こうしたカンムリワシの存在が、ボクにはやっぱり面白いのである。


2006-11-12 Sun  [ 旅・取材・人 ]

天然記念物カンムリワシと話せる男

by gaku


西表島で、カンムリワシの餌付けをしてしまった人にであった。
Nさん、78歳。
農業をしながら、自然と語らうまったりとした時間をすごしている人だった。

カンムリワシの名前は「ぴっころ」。メス、5才。
2001年に、Nさんの田んぼの近くでうまれ、秋に親鳥に追いだされてきたところをNさんとであった。
餌捕りがヘタで、見るに見兼ねたNさんがカエルを捕まえてきて地上に放してあげた。
だが、このカンムリワシの幼鳥はそれでも捕れなかったという。
それならばカニをということで、生きたカニの足をもいで地上に置いたらやっと拾えたのだった。
以来Nさんは、工夫をかさねながらいろんな餌をこの若いカンムリワシに与えてとうとう信頼関係を築いてしまったのだった。

こうしてカンムリワシは5年間、野外でどうしても獲物が捕れない日がつづくとNさんの田んぼにやってきては静かに餌をねだるようになった。
Nさんもカンムリワシが野生で生きていくことを尊重するから、数日に一回しか餌を与えていない。
それでもカンムリワシはよくしたもので、Nさんだけを見分けてこれまで日々行動しているのだった。
だから、知らない人からは絶対に餌をもらわないという。
人間をちゃんと認識している能力には、感心してしまう。



そんなNさんに対して島の中から、
『天然記念物のカンムリワシに餌をやるとはけしからん…』
『カンムリワシの年齢までちゃんと分かるから貴重な行為だ…』、とふたつの意見が入り乱れているようだ。

ボクは、後者の意見を支持したい。
その理由は、何もしないで「保護」だけを訴えている人は多いが、Nさんのように自然を見極めてこのようなことができる人は机上で語る研究者よりはるかにカンムリワシのことを理解しているからだ。
このような人がやる実験こそが、カンムリワシが将来絶滅に瀕したときに「手助け」のできる参考材料に必ずなるからである。

Nさんは、これまでにも年間150頭ものイノシシを捕獲してきている島でも屈指の猟師だった。
それが、今年の台風13号の強風でイノシシは大変なダメージを受けているから、猟はしないといっていた。

『イノシシやオオコウモリはこうして自然界から試練をうけて、また回復してくる。だから、そのときまで待てばいい。このような年もあるさね。ヤマネコも大変だ、よ。』
Nさんは、今冬、イリオモテヤマネコが田んぼの「アイガモ」を襲うことをはっきり予告した。


写真上:カンムリワシはNさんから餌をもらうと、この調理台で食事をしていく。調理台はカラス対策として大きさも工夫されていた。
写真下:カンムリワシはNさんだけしか見極めていないから、こんな距離からでも挨拶をしてくる。
     Nさんにも、このワシの声は特徴がありどこでも分かるというから、「ぴっころ」と名前をつけたそうだ。


2006-11-01 Wed  [ 鳥類 ]

西表島といえばカンムリワシ

by gaku


1981年4月。
ボクはカンムリワシの巣を日本ではじめて発見した。
それも、この年だけで3巣、翌年にも2巣をみつけた。

それまでカンムリワシは、日本では繁殖していないといわれていた。
しかし、ボクは石垣島と西表島では確実に営巣していると考えていた。このため、「鷲と鷹」の写真集をつくるための最後の仕事として、西表島にすべてを賭けたのだった。
「鷲と鷹」は、日本で16種類が繁殖しており、そのすべての巣を自分自身の力で見つけだすことをボクは自分に課していた。そして、それまでに15種類を独力で探し出していたから、カンムリワシも西表島へでかけさえすれば自然環境の動きを見切れる自信はあった。
しかし、亜熱帯という経験したことのない気候ゆえに、はじめのうちは手こずったが、ひとつの環境方程式を読み解けるようになるとカンムリワシの巣はいとも簡単に見つかった。

そんなボクを、西表島の食堂で嘲笑した「専門家」がいた。
それは日本を代表する鳥類研究機関に籍を置く2人の研究員だった。
ちょうど昼どきでもあったから、西表島の食堂でボクは「八重山そば」を食べていた。
となりの席に座ったAとTという研究員がボクに向かって、
『カンムリワシを遊びで見つけられては困る…』
と、いったのだった。

ボクは「鷲と鷹」の写真集をつくる夢があったから、遊びでやっているのではない。
ましてや「専門家」という人たちが、カンムリワシは台湾で繁殖しているのではないかとまで言っていた時代だ。
ボクには確信があってのことだから、この言葉には驚いた。
そんな悔しさもあったから、意地でも見つけだしてみようと思ったものである。
こうして16番目の種類となるカンムリワシの巣を見つけたわけだが、一つ発見できればあとは簡単だった。
森の環境を見切り、カンムリワシの動きと声を追っていけば、巣場所がピタリと特定できたからである。

そして、今回久しぶりに訪れた西表島だったが、以前よりまして環境を見抜ける目があったことには自分自身でも感心してしまった。
はじめてカンムリワシの巣を見つけてから27年も経っているというのに、地形をみただけであそことここに巣があると見えてしまったからだ。こうした勘は、若いころに培えば加齢とともにますます冴えてくるものだとわかった。

のんびりしているカンムリワシだが、やはり西表島にはよく似合う野鳥だ。
その昔は、与那国島にも生息していたらしいが、今日では「絶滅」しているとボクは宣言している。
石垣島と西表島、与那国島にカンムリワシは生息していることになっているが、この鳥は海上を飛翔して隣の島へは行けない。
だから、石垣島と西表島では貴重な野鳥なのだから、今後も確かな自然観をもった人の目で見届けていかなければならないだろう。
そのためにも、ときどきボクもでかけていってはカンムリワシと話していくことにしよう。



写真上:27年前の営巣地付近でさっそく出迎えてくれたカンムリワシ。
写真下:青空に独特な声を響かせながら独特な模様をみせて飛翔するカンムリワシの姿はいつ見ても惚れぼれしてしまう。

▼宮崎がく公式サイト http://www.owlet.net/
▼衝撃の取材レポート ツキノワグマ事件簿
▼みんなで作る生物データベース WEB自然図鑑
▼動物ライブカメラを24時間中継 森のライブカメラ
▼環境問題講演依頼はこちら 宮崎学の環境講演会
▼仲間になりたい人募集中!! 森の仲間コミュニティ
▼宮崎学のtwitterをフォロー
新着コメント
新着トラックバック
過去ログ
カテゴリ
サイト内検索
Staff
このブログの手伝いをしてくれているボランティアStaffです。
    合計:3670070
    本日:28
    昨日:409
    処理時間 5.436723秒
在宅、SOHO、求人