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2008-11-19 Wed [ 鳥類 ]
ついにやってきたソウシチョウ
by gaku

中央アルプス山麓の高原で、得体の知れない野鳥の声を聞いた。
『キョロキョロキョロ ジッジッジッジ キョロキョロキョロ … 』
ツグミ類の囀りのような声だが、少し張りが少ない。
が、しかし、よく通る声だ。
ガビチョウのようでもあるが、それでもない。
マミチャジナイかシロハラなどのツグミ類がまだ渡りつづけているのか、仲間を呼び集めている地鳴き声だと思った。
その声は、少しずつ移動していた。
そして、30mほど離れた杉の木までやってきた。
双眼鏡をもって、そっと移動しながら、正体を確かめようと、スギの枝内をみた。
な、なんと、そこにはソウシチョウがいるではないか。
真っ赤な嘴をして、たしかに囀っている。
しかも、10羽ほどの群れ、だ。
「え、ええーー! ついにソウシチョウが定着してしまったのかぁー」というのが、ボクの第一印象だった。
ソウシチョウとは、中国原産のスズメくらいの大きさをした野鳥。
美しい姿をしているので、昔から飼育鳥としての人気も高かった。
このため、ボクが子供のころは立派な飼い鳥として、たくさん輸入され小鳥屋さんで売られていたものである。
ボクも飼いたかったが、子供の小遣いでは絶対に買えない高価な鳥でもあった。
そのソウシチョウが、近年になって、全国各地で野生化しているというニュースはあった。
篭脱けしたのか中国から分布拡大をしてきたのかは謎だが、「篭脱け」説が強い。
長野県でも、伊那谷の南部地域でそのような情報も聞こえてきていた。
しかし、まさか、中央アルプス山麓まで進出してきているとは思えなかった。
だが、こうしてボク自身の目で確認したのだから、これで、完全に定着していることがわかった。
今回ボクが出会った環境から想像すれば、たぶん、すでに広範囲にわたって多数が定着していることだろう。
ある意味ではショックだった。
また、ある意味では共存も仕方がないのかな、とも思った。
ならば、外来種のソウシチョウを捕まえて、子供のころの夢であった「飼育」をしてもよいではないか、とも思ってしまった。
まあ、ともあれ、これでソウシチョウも確実に増えて、日本の「野鳥」になっていくのであろう。
10羽ほどのソウシチョウの群れは、ボクの興奮をよそに、林から林へ移動しながらやがて視界から消えていった。
次回は、どこでどのような出会いがまっているかはわからないが、たぶんそんなに遠くない日に出会えそうな予感がした。
あの嘴、あの目の周りなど、まるで蝋細工のような可愛らしさがあるソウシチョウだから、やっぱりもう一度しっかり会ってみたい。
写真:神奈川県で撮影したものだが、これとまったく同じ顔をして信州の杉林にいた。
2008-11-14 Fri [ 環境・ゴミ・現代社会 ]
動物たちへの「餌づけ」って何…!
by gaku

冬鳥たちが続々と到着している。
そのなかにはハクチョウもいるが、いま「餌づけ」の是非が論議されている。
餌づけによって、ハクチョウなどを一箇所に集中させておくことにより、鳥インフルエンザなどの流行を招く恐れがあることも懸念されているからだ。さらには、彼らの生態系にも悪影響をあたえてしまう恐れがあることも、心配されてのことだ。
たしかに、度の過ぎた餌づけによって、「野良ハクチョウ」や「野良カモ」の姿を見るのはつらい。
しかし、こうした現場を見ながら、ちょっと視点を変えて自然界全体を見てみることも必要だろう。
餌づけ場所でのハクチョウは夜間には現場で寝ているが、カモは寝ていない。カモは夜行性なので、夜間になると周辺の田んぼで「落ち穂」を拾っているからだ。そんな現場をきちんと見ている人なんて、この日本にはいないだろう。
ハクチョウだって、本来ならば昼間に田んぼにおりて落穂ひろいをしている。
マガンだって、同じこと。
ヒシクイなどの雁の仲間は、牧草地やコーン畑、田んぼで餌を食べている。
スズメやキジバトは、田んぼや畑が主要な餌場だ。
ツグミは、ミカン畑やリンゴ園が大切な越冬食料庫。
漁港にカモメが群れているのも、水揚げされた魚類があるからだ。
養魚場にも、アオサギやゴイサギが餌とりにやってくる。
アユを河川に放流すれば、カワウが捕食にやってくる。
サケをどんどん放流すれば、秋の河川にはヒグマがあつまる。
牛馬のために牧場をつくり、牧草地をつくれば、そこにはシカたちがやってくる。
美味しいリンゴやブドウをつくれば、サルやクマもあつまってくる。
有機農法をすれば、イノシシがやってきて畑の土を掘り起こしていく。
広大な面積の山野を伐採して、そこにカラマツなどを植林して40年も放置すれば、カモシカもシカもツキノワグマもサルも、増える。

なのに、ハクチョウに屑米やパンを与えることだけを「餌づけ」といって、人間が活動してきたプロセスでの環境に集まってくる生物には「餌づけ」ではない、という人がいる。しかし、これとて立派な「餌づけ」ではないのか?
人間のための産業活動による社会全体も、はっきりいって「餌づけ」現場なのであって、そこを忘れてはならないのである。
やはり、大きな自然界を語るのには、人間だってその環境に組み込まれている「野生動物」の一種なのだから、人間だけに都合のいい考え方だけでシロクロをつけてしまってはいけないと思う。
人間を含めて自然界全体のジャッジメントは「自然」が握っているのだから、人間の側だけから都合よくモノを見つめるのではなくて、生物の側からの視点で現代のこの時間にある自然界をキチンと見るべきであろう。
そうすれば、現代社会の盲点がはっきり見えてくるからである。
だからボクは、いつもそんな視線で人間社会と、そこに生きる動物たちに目を向けているのである。
そうすると、小さな自然観だけでいつも答えをだしてしまっている現代人の愚かしげな姿も見えてくるから、楽しくてしかたがない。
ウイルスは、水鳥だけが運んでくるのではない。渡り鳥ならば、大なり小なりいろんなウイルスをもっているからだ。そのなかに、人間も組み込まれている、だけの話である。

写真上:コシヒカリやササニシキの銘柄米を作ればつくるほど、それらの落ち穂を求めて野鳥たちも喜ぶことを忘れてはいけない(マガン)。
写真中:河川敷整備緑化で牧草レストランとなって喜ぶエゾシカたち。
写真下:沖縄で田芋をつくれば、その泥土に餌を求めてシギたちが越冬する。
2008-11-02 Sun [ 旅・取材・人 ]
無事かえる
by gaku

夏以降、ほんとうに多忙な日々が続いている。
年内にまだ2冊の出版を控えているので、それらの撮り下ろしに加えて、原稿などもあったし、これからもある。
さらには、先行投資的な撮影準備やら、連載はともかく単発原稿などにも追われていた。
そして、10月には毎週のように講演もあったし、八戸市では写真展もあった。
写真展の準備は意外に時間がとられ、本一冊分のエネルギーもいる。
そんな写真展と講演で、青森県の八戸市まで出かけてきた。
出発ぎりぎりまで、新幹線で行くか自分の車で出かけるのかを迷っていた。
新幹線なら東京から3時間なので、このスピードも魅力的だが、つい1週間前にも栃木まで東北新幹線には乗ったばかりだった。
なので、せっかく行くのだからふだんのように日本列島の津々浦々をも観察しながら「アニマル黙示録」もしてきたいという希望もふくらんでいた。
で、とりあえず急な締切りだけは片づいたので、1週間の予定で車で出かけることにした。
久しぶりの八戸市である。
できることなら、高速道路を通らないようにして、まだ足を運んでない途中の土地をも見てみたい。
新潟へ抜け福島へはいり、山形、秋田湯沢から岩手盛岡、そして八戸市まで往きに3日間。
このあと、十和田湖から八甲田山を経て、青森市へむかい、そのままUターンして南下。再び山形市、飯豊連峰、朝日連峰を経巡り村上市へ。さらに新潟から越後湯沢経由で信州まで復路も3日間。
このうちホテルに泊まったのは4日間で、あとは車中泊。
このような旅はもう30年以上もつづけているので、やっぱり自分自身には最高なリフレッシュとなった。
旅の途中でいちばん感動したのは、この「無事かえる」のアート。
青森県は二戸町の国道4号線の脇にあった。
そのリアルさとここまで作り上げたという発想力と行動力に感動して、思わず立ち止まり、しばしの時間をついやしてしまった。
カエルは、コンクリートモルタル製。
内側には鉄筋がはいり、金網を張り、そのうえにモルタルという作りだった。重さは、1トン近くあろう。それにしても、微妙なカーブが見事に表出されている。
どういう経緯でこの巨大「カエル」ができたのか真意を知りたいところだが、カエル像の脇には工房らしき一軒の家もあった。その軒下にはさらに、馬や犬、コンドルにガチョウやツルなどの習作もあった。それぞれに、作者の思い入れが隠っている、ようだ。

主がいれば、すぐにでも話しかけてくるところだったが、主の気配がまったく感じられなかった。
工房の雰囲気からしてすでに、1-2年以上の時間経過で無人化しているようすだった。
工房の主は、長期入院中かすでにこの世にいないのではないかとも感じたが、とてもこだわりの人生を送った人であろう。
近所で聞き込みをすればかなりのことが分かるだろうとも思ったが、時間がなかったので先を急いだ。
たぶんボクは、もう一度ここを訪れるであろうと思っているが、旅にはこうした発見があるからやめられない。
写真:「無事かえる」と工房の軒先。








