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2009-04-21 Tue [ 旅・取材・人 ]
借り物の知恵ほど技術を守れない人
by gaku

いまから20年ほど前になるだろうか、大学を卒業してすぐに写真家になりたいという青年から電話がきた。
ある著名な写真家の名前を出して、
「○○さんは、どんな方法で撮影をしているか教えてください」。
人を介してまだ1回だけしか出会ったことのない青年から、このような電話を受けるとは思わなかった。
ボクは、プロなので同業者の仕事や技術の深部まで、かなり分かっているつもりだ。
しかし、そのようなプロの仕事をボクがプロ仲間やアマチュアには絶対に教えることはしない。
それは、その技術を開発して持っているプロに対して大変失礼なことになるからである。
同業者として、やってはいけないこと、だからである。
そのことは、ボクにも当てはまることであり、ボクの技術を同業者にペラペラと公開されたくないのと同じである。
いまの時代は、他人から技術をいかにして盗み、それを自分で真似して生きていこうとしている人間ばかり。
なので、揉み手でボクのところにも急接近してくるプロやアマチュアも多い。
ボクが「けもの道」を発表したのは、1978年。
この直後から、大勢の人間が群がってきたが、その「揉み手」が気の毒だったから少しだけ自動撮影ができる程度の技術を教えたこともある。
すると、それまで撮ったこともなかった野生動物が「撮れた」ものだからいきなり有頂天になって、自分の技術でできたものだと勘違いしてしまう。
そして、天狗になっていき、自滅していった何人かの顔も思い出す。
自滅していくのは、ボクが第一ステップしか教えなかったからだ。
自動撮影技術には、第二、第三ステップがあるのだけれど、ボクはそこまでは絶対に技術を見せない。
第一ステップで、「揉み手」人間の人間性をテストするからだ。
そこで墓穴を掘るのがまず、ボクから得た技術を得意になって公開していくアホである。
苦労して技術開発をしたことのない人間は、その技術を侮ってしまうものである。
借り物の知識や知恵は所詮身につかないから、そのあとが頓挫して次に続かなくなってしまうものだ。
プロが編み出す技術なんてものは、ちょっとした発想力による「コロンプスの卵」の連続である。
そのちょっとしたセンスがないから、凡人には一生かかってもコロンブスの卵を産めないのである。
そのコロンブスの卵を教えてもらうと、それはまるで手品のタネ明かしくらいにしか思えないらしく、「なーーんだ」という人間もいる。
その「なーーんだ」に気づかないから、一生何もできないのにである。
カメラの世界なんてものは、野球の世界とよく似ているとボクは思っている。
バットとグローブとボールさえあれば、一応は野球の真似事ができる。
カメラも製品を買えば、とりあえずは「カメラ」の真似事もできてしまう。
しかし、草野球のホームランバッターがプロ野球で三割打者を何十年間も維持なんてできない。
カメラも、それと同じだからである。
だったら、コロンブスの卵を見せてもらって、オレの前で「なーーんだ」とは、言うな。
写真:カタクリも魚眼レンズで撮れば、少しはマンネリも跳ね返せるだろう。
シグマ4,5mm このレンズに最近はハマッている。
2009-04-14 Tue [ 旅・取材・人 ]
九州までのアンテナ磨き旅 その5
by gaku
現代社会は動いている。確実に日々変化をし続けているのである。これは、自然界にもいえることで、人間社会が変化していれば、生物社会だって変化を遂げているのが現実である。
だからボクは、そうしたちょっとした変化というサインを見届けながら自分なりに考察することを無上の楽しみとしているのである。
九州を脱出してからは、まだまだいくつもの見聞旅が残っていた。
下関市へも立ち寄り、一部だけかもしれないが魚市場周辺の活気を体験してたまげた。とにかく、ここだけはスゴイ人ごみだったからだ。
ここでは、駐車場が少なかったので、鹿児島で衝動買いをした折りたたみ式自転車がものすごく役立った。
小さな自転車で、知らない土地をのんびり散策するのもいいものだと、ひとつ発見をした思いだった。

そのあと、中国自動車道をひた走り、獣害と過疎の現実を記憶にとどめてきた。
どんなに立派な由緒正しき住宅が集落に集まっていても、干された洗濯物を観察するだけで、集落全体に沈滞する加齢臭をかぎ分ける野生動物たちの心理までをも垣間見ることができてしまうからだ。
そして、40年ぶりでの松枯れ第二波を周辺でしっかり記録してきた。

さらには、行きがけに発見した「ツキノワグマ注意」の道路標識。これは貴重なものだと思ったので、どうしても撮影しておきたかった。
とにかく、高速道路でこのような標識を確認できるのは、ボクの知るかぎり、八戸道、東北自動車道、中央道、中国自動車道…、の4箇所だけだからである。
中国自動車道では、島根県と山口県堺の上下線の1箇所だけに標識があるからだ。
この標識の存在は、ボクにとっては現地でのツキノワグマ動向を探るにはとても参考になるのである。


中国自動車道では途中で一泊仮眠をして、播但道経由で兵庫県の日本海側にある香住まで向かう。
ここでも、獣害をテーマに、いろんなところで自分なりの情報をあつめてきた。
このあと、深夜にはもうひとつのフィールドである近畿播磨灘周辺までひた走る。
アオサギ、ダイサギなどの歓迎を受けながら「アニマル黙示録」のテーマをいくつかこなす。


そして、大阪は吹田のSAでの車上狙い注意看板を認め、これも現代社会から着実にサインの出ていることを再認識する。
このようなサインをどう受け止めるかはヒトそれぞれであるが、ボクのアンテナには鋭く反応をした。

そんなサインを胸の奥にしまいながら、最終目的地の岐阜城予備ロケに向かったのだった。
ちょうど花見のころと重なり、岐阜城周辺もなかなかの人出だった。
ここでも、折りたたみ自転車が活躍してくれたのだった。

2009-04-10 Fri [ 旅・取材・人 ]
九州までのアンテナ磨き旅 その4
by gaku

「男はホラを吹かなければならない、だからオレは床の間に大きなほら貝を飾ってある」
そう口癖のように言っていたのは、椋鳩十さんだった。
同郷人として、この言葉に痛く感動したのは言うまでもなく、この言葉を得て、ボクもなんだか急に自分が大きくなったような気がした。
そんな椋さんとの共著も10冊ほど作らせてもらって、椋先生はまもなく亡くなられた。
葬式に鹿児島空港に降り立ったときは、冷たい大粒の雪が降っていた。
その雪は、まさに伊那谷の雪だ、と思った。



そんな椋さんの記念館が鹿児島の加治木町にある。
その記念館にいつか顔を出さなければならないと思っていたから、ボクはふらりとご挨拶に訪れた。
館に入って、ボクはとっくに忘れてしまっていたが、ボクが寄贈した写真に出会った。
本人が忘れていたのに、きちんと展示してあったのには嬉しく感じた。
そして、椋先生の遺品のなかに、あの「ほら貝」もあった。
ほら貝をみて、懐かしさと、嬉しさと、勇気をもらった気がした。
なので、これからはボクも大いに「ホラ」を吹いてやろうと思った。そう思った瞬間、遺影の椋先生がなんだかニヤリと笑ったようにも感じた。
ご遺族のみなさんには連絡もしないまま、ボクはこのあと、一気に宮崎県の椎葉村を訪ねた。

この村は、何も知識がなかったが、地図で見て字が示す意味を自分なりに探ってみたいと思ったからだ。
もっとも、九州では絶滅宣言が出されているツキノワグマの存在も気になっていたので、少しは自分なりに自然環境を見ておきたいと思った。その先に、椎葉村があっただけ、なのである。
(九州のツキノワグマのことは、別ブログ「ツキノワグマ事件簿」で近々書きます)
あえて山道を選んだために、椎葉村では思いのほか時間がかかり、日がとっぷりと暮れてしまった。
こんなときは動かないに限るから、真っ暗闇の道路際でカジカガエルの声を聞きながら車中泊をした。
心細い山中で、山の黒さと深さがなんとなくわかり、いや、すごい過疎地を自分の目で見て体験していることに充実感を感じた。
山深いこの地は、信州の南アルプス奥地にある村とも共通する深く濃い「自然」があると思った。
翌朝は、ある意味ほっとした気分で早急に次の講演地である直方市へ急いだ。
予定スケジュールがあるのに、見知らぬ土地で時間をかけてアナをあけることはクライアントに対して失礼にあたる。

直方市ではこぢんまりしたグループだったが、一応ボクの持論展開をしてきた。
そこに、3時間以上も時間をかけて熊本からやってきてくださった方がいて元気づけられた。
熱心に地域づくりのことを考えておられた方だから、手弁当でやってきてくださったのが嬉しかった。
全国で講演していると、地域によっては意識の時差もあるので、そういったところで何を語り残していくかといったジレンマがボクにはあった。
なので、わざわざ熊本からやってこられた方はさすがにホンモノなのではないかと思った。

このあとの懇親会では、初物の焼きタケノコがとても美味しかった。
ありがとう、「なごみの会」のみなさん。
2009-04-09 Thu [ 旅・取材・人 ]
九州までのアンテナ磨き旅 その3
by gaku

鹿児島での最大の目標は、カラスの巣を見つけることだった。
北海道から沖縄まで、もう10年間以上もボクはカラスの巣を追っている。
何百というカラスの巣を見つけてきたが、その巣まで木登りをして、巣材と卵の記録をしてきているからだ。
鹿児島だけがまだ抜けていたので、今回はそれを埋めるために行動を起こしたのだった。
そのカラスの巣も、鹿児島へ着いた翌日にあっというまに5巣見つけ、撮影も楽勝だった。
照葉樹林という見えない森での巣探しだったが、カラスの表情を見ただけで、ボクにはどこに巣があるかがわかってしまう。
九州行きの最大の目的が、こうしてたった一日で達成できたのである。
だから、あとはのんびりと自分のアンテナにひっかかる視野を広めるだけの旅をすればよいから気楽だ。
なので、25日は東京ビックサイトのニコンブースのために安心して上京もできた。


ビックサイトのニコンブースでは、ボクの写真展もあった。
未発表作品を含めたデジタルカメラによる新作を大伸ばしで8点の展示である。


ニコンブースの斜向かいにはシグマのブースがあり、若き社長の山木さんの姿が見えたのでトークショーの前にちょっと立ち話。
(そういえば、トークショー中にシグマの元専務だった内田さんの姿も最前列にあることがわかった。一言も挨拶できなかったが、あの方は30年以上もボクをずっと応援し続けてくれているからありがたい。こういう人のためにも、1枚でも多くいい作品を残していきたいと思った。)

ニコンブースの横隣は、キャノンブース。
このキャノンブースでは、ボクのトークショーとバッティングする形で俳優の柳生博さんのトークショーもあった。柳生さんとは最近しこたま飲んだばかりだったので顔を合わせたかったが、お隣さんなのに互いに時間がとれなくて会えずじまい。
とまあ、慌しくトークショーをすませて、夕方の便で鹿児島へ。
こんなに多忙でいいのかと反省もするが、鹿児島からの往復の飛行機がすべて満席なのには驚いた。
忙しい人たちが、たくさんいるということ、なのだろう。
地方空港は軒並み空席が目立つのに、なぜか鹿児島だけは活気付いているように感じた。

東京ビックサイト周辺も工事中で、さらにあの辺も進化するのであろう。
2009-04-08 Wed [ 旅・取材・人 ]
九州までのアンテナ磨き旅 その2
by gaku

「仕事を趣味と思ったら こんな楽しいことはない」
これは、西郷さんがいったのだろうか?
霧島市にあった「長命酢」という会社の塀に書かれていたのを読んだら、ボクも急に元気になってきた。
そういえば、自分の仕事は楽しいと思ってこれまでやってきているから、趣味みたいなものである。

思わず、この長命酢の会社へ飛び込んで一升瓶の酢を買ってしまった。
そして、醸造中の酢の甕がならぶ工場内部の見える神社まで歩く。
いやー はじめてみる酢づくりの現場を高台から見下ろすと、甕の並び具合がすばらしく芸術的に感じた。

その工場からは、なんとテレビなどで有名な「A-Z」というショッピングモールも見える。
駐車場が1500台という巨大な新店舗は、開店してまだ10日ほど。
生鮮野菜から鮮魚、ホームセンター、仏壇から車の販売と車検まで。
何でもとりそろえて24時間営業のスゴイものだった。
ここで、折りたたみ式自転車を思わず衝動買いしてしまった。
これが、のちにすごく便利だったのには驚いた。買ってよかったと思った。



鹿児島といえば、「きびなご」。
そのキビナゴが、生鮮売り場で180円で売られていた。
さっそく買ってみれば、これが食べきれないほどの量だった。
むかし、四国の宇和島でキビナゴの刺身の作り方を現地の主婦に教わったことがあり、その通りにして造った。
キビナゴの頭を左手人差し指で押さえ、右手にはコーヒースプーンを持って、これで背骨に沿って半身ずつこそげていけばいいのである。
まさに包丁いらずで簡単に刺身が出来てしまうのだから、やはり現地のヒトの知恵はスゴイと思った。

24時間営業で駐車場は無料だったので、このAーZ店を拠点に3日間も過ごすことになってしまった。
ボクの車はキャンピングカーなので、風呂だけは近所まで出かけていき、あとは駐車場ですべてが間に合った。
お腹がすけば店内に入り、お酒や肴も手に入るから楽勝。
さらにはコインランドリーもあるし、ウオシュレットの快適なトイレもあるし、旅人にとってこんなにすばらしい空間はない、と思った。
しかも、駐車場では「eモバイル」の電波もとどいてきたからネット生活までできた。








