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2009-12-26 Sat [ 鳥類 ]
日本最小のタカを捕まえる
by gaku

今日の午前10時ころ、日本にいるいちばん小さなタカであるツミを捕まえた。
ツミは、ニワトリ小屋に侵入していて、出られずにいたのだった。
ニワトリ小屋には、ニワトリの餌を盗みにきているスズメが50~60羽くらいいる。
そのスズメを狙って、ツミがどこからか侵入したのだった。
そして、小屋のなかでスズメを捕まえ食べているところへ、運悪くボクが通りかかって、見つかってしまったのだった。
ツミは、今年生まれの若いメスだった。
幼鳥の証拠である茶褐色の羽毛が、何よりも若鳥だということを示していた。

ツミを手で持つことは、はじめてのことである。
ボクは、30年ほど前に「鷲と鷹」という写真集を出しているから、ツミを写真に撮ったことはあっても手で掴んだことはなかった。
だから、ニワトリ小屋にいたツミを手にもって、細部を観察してみたいという欲求があった。
掴んでみて、間近で顔を見ると、やはりカッコいい。
眼の鋭さは立派なタカだし、鼻の周りのヒゲもなかなかにいいカンジ。
そして、このツミは潤沢に食事が出来ているのか気になって胸の竜骨をさわってみたが、肉がしっかりついていた。
若いながらに、しっかり狩りの出来ている個体だった、のである。

そういえば、2週間ほど前に自宅の窓ガラスにスズメが3羽ぶつかって脳震盪を起こしたことがあった。
このときは、茶色のタカがもう一羽のスズメを足で掴んで庭に舞い降りていたと家人が言っていた。
庭で遊んでいたスズメの群れが、いきなりタカに襲われてパニックを起こし、窓ガラスに激突したのだった。
タカは「茶色」ということだったので、近所にいつもいるチョウゲンポウだとばかりボクは思っていた。
ところが、このツミを見てしまうと、ひょっとしたらこのときのタカは「ツミ」だったにちがいない、と思うようになった。
脳震盪を起こしたスズメは、2羽が回復してすぐに空に帰って行ったが、1羽は死んでしまった。
そこで、死んだスズメがもったいなかったから、ボクは焼き鳥にして食べてしまった。
ツミから思わぬプレゼントをもらったことを思い出したので、このツミはニワトリ小屋で撮影してから放してあげた。
元気よく舞いあがっていったが、このツミは、まだこれからも庭のスズメを襲いにやってくることだろう。
スズメはとにかく、100羽くらいが、家のまわりでいつもたむろしている。
ニワトリたちが3箇所で飼育されているから、それらの餌を狙っているからだ。
だから、スズメはずっとわが家を最高のレストランだと思っているから、どんなにタカがやってこようとずっと通い続けてくることだろう。
ニワトリには、毎月2000円ほどの餌代がかかている。
その餌の半分以上を、スズメたちが横取りしていく。
そのスズメを捕食しようと、ツミの若者がやってくるようになった。
そしてときどき、窓ガラスにスズメがぶつかって死ねば、オイラはスズメの焼き鳥が食える。
まさに、手を汚さずに「鷹狩り」をしている、ようなものだ。
今日はツミが捕まったことで、フードエコロジーを思わぬところで再認識することとなった。
自然界というところは、まさに、このようなエコロジー環境にあるものなのだ。
だから、自然はオモシロイ、のである。

写真上から、
1)若鳥だけれども、小さなツミの顔は引き締まっていて格好いい。
2)ニワトリ小屋は、全体を網で囲ってあるから、ツミも逃げられずにいた。
3)スズメは、小屋のなかで頭だけを食べられていた。だから、漁夫の利としてこのスズメもオイラの胃袋に収まってしまった。
4)こんなに広いニワトリ小屋だけど、中にいるのは老いたニワトリが2羽だけ。卵も産んでくれなくなったから、まさにここはニワトリの特養ホームなのだ。
2009-12-25 Fri [ 哺乳類・野生動物 ]
ノウサギ復活のきざし
by gaku

今冬は、雪が思いのほか早くやってきた。
こうして、雪が降ると、足跡が雪上に見られるから動物たちの動きがわかって面白い。
今冬の特徴は、中央アルプスの一部地域でノウサギが復活傾向にあることである。
1985年を最後に、ボクのフィールドではノウサギが完全にいなくなった。
以来、雪が降るたびに期待してノウサギの足跡さがしをするのだが、これまでまったくそれを見つけることができなかった。
ある地域では、2年前に少し見られたが、今年は再び消えてしまっている。
また、これまでまったく見られなかった場所で、今冬はかなりの個体数が復活していることが分かった。
まあ、これは喜ぶべきなのだが、まだまだ数年間にわたってその推移を見守らなければならないだろう。

ノウサギがいなくなったときボクの周りでは、山や動物のことにちょっと自信がありそうな人はみんな異口同音に、「キツネを放したからいなくなったんだ」、と断定口調だった。
しかし、ボクはそれには疑問符だった。
ノウサギが姿を消して20数年間、キツネは多数がちゃんと生息ていたからである。
キツネがノウサギを大量捕獲しているとすれば、餌であるノウサギが消えた時点でかなり餌不足に陥って個体数も激減していったことだろう。
しかし、それがまったくなかったからである。
そして、現在でもキツネはちゃんと普通に闊歩している。
だから、キツネ説をボクは否定している、のである。
それよりやはり、森林の変化がノウサギに大きく影響を与えたと思っている。
1970年代前半より、それまでの大量大規模伐採地がずっと手つかずのまま放棄されて今日まできた。
だから、山野は樹木が生長し、草原などを好むノウサギにとってはとても棲みずらくなってしまった。
こうして、ノウサギの生息環境が悪化したから、中央アルプスからノウサギが消えたのだ。
そして、かろうじてノウサギが生き残っていた場所が、皮肉にもスキー場とかゴルフ場周辺だった。
自然破壊だと自然保護団体や個人があれほどスキー場やゴルフ場建設に反対したのに、いまでは何を思い感じているのだろうか、と聞いてみたい。

まあ、ノウサギが増えてくればイヌワシは喜ぶだろうが、いまの森林状態ではそれもかなり難しい。
放置されている森林を、ゴルフ場並みに大伐採をして草原地帯をつくり管理しながら、そこにノウサギを復活させれば、イヌワシはとても安定して繁殖活動を続けていくことができるだろう。
このようにいえば、自然破壊を煽るようなものだとまた自然保護団体に叱られそうだが、自然界というところは全体のバランスが大切なのである。
そのバランスからいえば、現在の日本の山野は森があまりにもすべてを占めつくしており、森林性の野鳥やツキノワグマ、シカ、イノシシ、サルが激増してきているからである。
自然界は日々ちゃんと動いていることに気づき、それに合った的確な判断がわれわれ現代人には必要なことだと思う。
それがいまいちばん欠けているところなので、決して自然「保誤」になってはいけないとボクは思っている。
この判断確定は、今後のボクのフィールドでのノウサギの動静で決まると思う。

写真上から、
1)超過疎化が進み40年前から無人集落跡地となったところで、ノウサギがやっと復活傾向にあることが今年の自動無人撮影カメラでわかった。背後の樹木は桑の木、昔ここで養蚕が行われていたことを物語る。
2)ノウサギのこんな足跡を見つけると、嬉しくなってしまう。
3)ノウサギ、キツネ、カモシカの足跡がそれぞれに行動をみせてくれて面白い情報源となっている。
4)ここは2年前にノウサギが少し復活したが、再びいなくなってしまった。キツネは普通に生息するが、サルは異常に増加傾向にあることはこの足跡からでもよくわかる。
2009-12-21 Mon [ 旅・取材・人 ]
時代を読むオモシロさ…
by gaku

12月も中盤になると、もう今年もお終いだと覚悟を決めなければならない。
そして、この時期になると、カメラメーカーなどから忘年会やら新年会へのお誘いメールもよく入ってくる。
また、写真賞のノミネート依頼の書類もたくさん届くものである。
忘年会やら新年会には、こんなときとばかりに顔つなぎに奔走する同業者もいるだろうが、ボクはわざわざ顔を出すほど暇ではないのでほとんどをパスしている。
写真賞も、大きなものから小さなものまでほとんどすべての依頼がきているが、なかなかに推薦できる作家や新人も少なく毎年のことのように人材探しに苦労も、している。
そんな師走のなか、別件で上京してきた。
ふだん田舎に生活していると、たまに上京すれば刺激もあるしヒントやアイデアも浮かぶから楽しいものだ。


都内を撮影しながら、久しぶりに某大手本屋さんへ寄ってみた。
写真集売り場を見てきたが、目を引くようなものはなかった。
とくに、自然関係の写真集は悲惨だった。
自然を賛美し、愛護精神だけで愛でたファンタスティックな写真集ばかりだった。
これらの写真集の奥付をみて驚いたが、10年も15年も前に発売されたものばかりなのである。
要するに、売れ残ったものだけが書棚に「商品」となっていたのだ。
やはりこれは、読者に飽きられているから、このような路線の写真集の回転が悪いということを物語っている。
ちなみに、オイラの写真集はすべて完売してしまっているので、1冊も書棚にはなかった。
自然は滅びるものとして、誰もが思いそれ以上に自然界全般を理解できていかないと、つぎなる発想力も出てこないものである。
だから、自然は止まったままだと思ってしまっている写真作家も多いのだ。
止まっているのはモノを思考する作家の頭であって、自然は滅びることなく絶えず動き続けているものである。
そこに気づかないかぎり、賛美路線から脱却できないまま、15年前の写真集の作者の顔を思いうかべながら「その後」の仕事振りを見てしまっている自分がいたのには悲しかった。
それだけ「ネイチャーフォト」というジャンルは、もうすべての人たちからは忘れ去られようとしている。
これはいわゆる作家側の怠慢だったから、このような凋落をみてしまったのだった。
残念なことだけど、これだけはボク自身もどうすることもできないから自分の路線をしっかり歩むしかない。
けっきょく買ったのは、荒木経惟さんの文庫本だけだった。
あの人は、エコロジーをちゃんと知り尽くしているヒトだから、写真家としてほんとうに面白いと思う。
そんなことを思いながら、久しぶりの東京で街角スナップをしてきた。
都会の街角には人間生態学がどっさりつまっているから、ボクはハマッてしまっているのだ。


2009-12-16 Wed [ 哺乳類・野生動物 ]
柴犬とペアルックで南アルプスへ
by gaku

飼い犬に服を着せたりすることは、あまり好きではない。
日本犬はとくに、日本の気候風土に慣らされてきた野性味の強い犬なので、服は、やはり似合わない。
でも、今は狩猟シーズン。
山中を走り回っていると、素人ハンターに間違って撃たれてしまう可能性もあるので、大切な愛犬を目立つようにしなければならない。
犬だけでなく、もちろん人間だってこの時期は目立ったほうがいい。
昨日は南アルプスへニホンジカの出現状況を見回りに行く日だった。
そこで、相棒の柴犬も連れて行くことになり、不本意ながら服を着せることにした。
子犬のころにもらった真っ赤な服があったので、ちょっと窮屈そうだったがそれを着せて出かけた。
ボク自身は、普段からユニクロの真っ赤なリバーシブルな上着で行くから、偶然にも犬とペアルックになってしまった。
ちょっと気恥ずかしかったが、まあ、お互いに撃たれるよりはいいだろう。

ボクの犬は、「天然記念物柴犬保存会」の柴犬だ。
ここで守り育ててきている柴犬は、日本犬のルーツともいえる骨格を示しているので、「保存」の意味も含めてもう30数年来ずっと飼育してきている。
なんでも、縄文時代から人間とともに生活してきた日本犬だから、当時の遺跡から出土した骨格とまさに一致する柴犬だからである。
この犬の特徴は、獲物の臭いをよくとれるように吻がよく発達しているから、顎の骨も大きいので歯も小型犬ながらビックリするくらい大きくてしっかりしている。そして、額段が浅く眼が深く沈み三角形になっているし、耳も自然界からの超音波を聞きわけるのに三角形にピンと立ちながらやや前傾しているところは、全身でフィールドからのサインを読みとり脳へつなげているということである。
そして、四肢がよく発達し、山野を機敏に走り回れるように全体の骨格バランスがしっかりしていることである。
これらの特徴は、まさにニホンオオカミの骨格とも合致する部分が多く、日本の中山間地の気候風土に適した生活をしながら、自らの力で獲物を狩ることもできる野生味の強い正統派「柴犬」といえる。
それでいて、主人には従順で気持ちを瞬間的に読みとる洞察力にもたけているから、質量ともに心から愛着のもてる生き物だからである。

ボクの柴犬は、黒毛柴である。
飼育歴6頭めにして、はじめて黒柴を飼うことになったが、これが阿吽の呼吸で山歩きができるからボク自身はめちゃくちゃに可愛いと思っている。
名前は、「ホタル」。
3歳になるメスである。
このホタルは、東京の世田谷で生まれ、2ヶ月で父親のいる秋田の田沢湖畔に子返しで帰った。
その子犬にボクが一目ぼれをして、秋田まで買いに行ったのだった。
こうしてわが家の一員になったのだが、子犬のころから山野では首輪も紐も外され、ボクと行動をともにするようになった。
だから、いまでは半世紀前まであった柴犬と主人の信頼できる関係を維持しながら山歩きをしてきた日本の原風景が甦ったと思っている。
主人からは決して離れず、ボクの言葉はすべて理解して従順に行動するから、仕事の邪魔をすることもない。
それでいながら、ボク自身もホタルの行動をしっかり観察しているから、耳の立て方や鼻のつかいかた、そして体のすべてで感じている動きを見て、日本の野生動物たちの行動心理を知る手がかりにもしている。

このホタルの系統の流れをくむ子犬が3匹、山梨県で産まれているという。
その写真が昨夜、知人からメールで届いた。
毛色は赤茶だが、すばらしくいい顔貌をしている子犬たちだ。
骨格もしっかりしているから、これらの子犬も大人になれば、ホタルそっくりな柴犬になるだろう。
メールには、天然記念物柴犬保存会の柴犬をしっかり理解して可愛がってくれる人には、譲ってもいいと書かれていた。
オス1頭、メス2頭。
柴犬は愛情をしっかり注いであげればそれなりに確実に態度で返してくるから、いい飼い主のところに貰われていけば、この子犬たちも幸せだろう。
興味のある方は、ボクに連絡くだされば仲介をします。
写真上から、
1)まるで狼犬のような表情とスタイルだが、これでいて主人には従順で家族を守ろうとするのが日本犬の特徴。
2)ハンターに撃たれるよりはましなので猟期の終わる来年2月15日までは、ペアルックで我慢、ガマン。
3)黒柴だが耳や被毛には赤があり、同胎兄弟にも純赤毛も生まれてきたから、この犬からも赤毛は生まれてくるだろう。
4)天然記念物柴犬保存会の犬は、子犬からしっかりした顔立ちをしているのが特徴。
柴犬にうるさい僕がみても、このなかにとびきりいい子犬がいることは確か。
2009-12-03 Thu [ 旅・取材・人 ]
写真集「カラスのお宅拝見」が出版される
by gaku

「カラスのお宅拝見」の写真集が、できた。
北海道から九州まで、100を超えるカラスの巣を覗かせてもらって、巣を通して現代社会を語るというものだ。
写真集だから、モデルがよくないと本はできないように思われるが、どうしてどうしてオイラにかかってしまえば黒装束のカラスだって立派なモデルになってしまうのである。
思い返せば30年も前から、ことあるごとに木登りをしてカラスの巣を覗いてきた。
ときには、10m、20mという木登りをひとりでやって、樹上で両手を離しての撮影である。
そんな写真を撮りためていたら、ある若い編集者が惚れこんでくれた。
これまでの仕事を振り返ってみても、ボクは美しく綺麗なものをファンタスティックにだけ追うことは、大自然の確かな営みに対してどうしても失礼な気がしてならなかった。
だから、自分に嘘をつかない自然の本質に迫った仕事をしなければ、「宮崎学」が存在する意味はないと思っていた。
そこで、人間には嫌われ者のカラスも身近にいる野鳥でありながら、実はしたたかに人間を観察していることがわかった。
そんなカラスが面白く、ならば、カラスの巣までずかずか入り込ませてもらって、彼らのプライバシーを暴いてもいいではないかと思ったからだ。

写真集といえば、犬や猫だけが書店の売り場を席捲するなげかわしい時代にあって、自然モノなんて見向きもされない。
売れ筋だけを狙えばいいといった安易な姿勢が、今日の環境問題でいちばん大切な部分を伝えられなくしてしまった。
いつの間にか、編集者も出版社も大切なことを忘れてしまったような気がしてならない。
「カラスのお宅拝見」は、定価2000円。
30年間におよぶ全国への取材費を考えれば2000円は絶対に安いし、オイラにとってはすべてが持ち出しだ。
しかし、こういう仕事をしている男が、今の日本にひとりくらいいてもいいと思う。
誰もやらないことをやれる楽しみをもってボクはこれまで生きているのだから、多いに満足している。
印刷もなかなかにいいし、手軽に手にとれる装丁だから、やはり売れてほしいとは思う。
出版物は、欲しいときに入手しないとすぐになくなってしまうのが実情だ。
何年かあとになって、「あの本はないですか…?」、と聞かれるのがいちばん辛い。
この本の出版を記念して、東京・池袋のジュンク堂でトークショーがある。
12月10日、18時30分~
サイン会もあるので、お時間のある方はぜひどうぞ。

「カラスお宅拝見」の本文の一部より
巣を見ていくだけで、カラスにもいろんなタイプがあって、
それぞれに個性豊かな生き方をしていることがわかってくる。
また、「権兵衛が種蒔きゃカラスがほじくる」といわれたように、
カラスが集落に暮らす人間の一人ひとりを確実に見分けて
行動するようすが見えてきて、野鳥の底知れない能力を感じさせてくれる。
そしてなにより、カラスの巣を通して、
ニッポンの社会や環境が垣間見えるのが面白い…
「カラスのお宅拝見」 新樹社 定価2000+税
19.5cm×17.5cm 144ページ オールカラー
写真上から
1)「カラスのお宅拝見」の表紙
2)カラスの巣にも、こんなに個性がある。
3)この巣には、人間の白髪がたくさん持ち込まれていた。こんなにまとまって白髪があるのは、きわめて怪しい。近所に変死体でもあったのかもしれない。








