ひっつきむしに利用されるツキノワグマ

20170901 【写真家は見たシリーズ 35 】

ツキノワグマの乳首が3つ。
右側にも3つあるはずだが、角度と体毛によって見ることはできない。
この乳首は、子育てをしている若い母親のものである。
臍も見える。
キンミズヒキの種子が10個ばかりひっついているのも見える。
普段なかなか見ることのできない野生のツキノワグマの腹部だが、無人撮影ロボットカメラだと思わぬ発見をさせてくれるものだ。
森のなかでは大きくて強いツキノワグマが、キンミズヒキという小さな植物に種子の「運び屋」として利用されているのがオモシロイ。
こうして野生動物たちを撮影していると植物たちのほうが自然界では実は上なのではないのか、と思えることが多々ある。

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疥癬タヌキの出はじめの頃

20170823 【昔の写真が出てきますシリーズ 14 】

1980年代前半に、タヌキの疥癬がちらほら報告されはじめた。
いつか、猛烈な「疥癬タヌキ」を撮影したいと思っていたらやっと撮れた。
以来イマでもことあるごとに疥癬を意識して見てきているが、いろんな野生動物にも蔓延して、減ることはなくても周期的に出現してきているのだから維持され続けていることは確かである。

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いまから30年後の野生動物に対する意識…

20170824 【写真家は見たシリーズ 32 】

通学路にイノシシが出た。
民家脇にツキノワグマが出た。
街中にサルが出た。
自然豊かな長野県でもそんなことが頻々すると、親はヒステリックになり子供は不安を覚え市民の「子供見守り隊」が出て通学路を見張る。

それを、幼児体験豊かな団塊の世代はけっこう笑って見ている。
40~50代のガリ勉世代は、自然はやがて滅びるのだから自然と共存して守ろうという意識が強い。
ゆとり世代のヤンパパママは、絵本や縫いぐるみでしか野生動物を知らないからパニックになる。
そして、イマの子供世代が大人社会となる30年後には自然や野生動物とは戦わなければならないという意識になっているのではないのか、とオイラはイマドキの社会心理を分析をしている。

純野生の雄イノシシは警戒心が非常に強いから生態写真をきちんと撮ることは難しい。
しかし、赤外線カメラでひっそりと無人撮影していると雄イノシシがけっこうたくさん生息していることに気づく。
雄イノシシは元気で荒ぶれてどんどん種付けをしていくから、30年先を見越せばイノシシはまだまだ人里に出没して「見守り隊」の世話にならざるをえないだろう。
いま、通学路で守られている子供たちが親の世代になるころには社会の自然に対する意識も大きく変わっていると思う。
その意味では、イマをきちんと見届けて分析して発信しておくことは大切なこと。

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野生動物には寄生虫うじゃうじゃ…

20170822 【写真家は見たシリーズ 30 】

あるところで、ツキノワグマの解体がはじまっていた。
そこに知り合いがいたので、ちょっと見学させてもらった。
兼ねてから「寄生虫」には興味があったので念のために、と。
で、いるわいるわ内臓にはアニサキスのような旋毛虫がわんさか(黒矢印)。
筋肉にも、同じような寄生虫が見られた。
よく、野生動物の肉を刺身で食べたという人がいるけれど。
それは、やっぱり、豪傑というものだ。

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マダニ vs 動物たちの 「ige抗体」対決

20170820 【写真家は見たシリーズ 28 】

このツキノワグマは、目のまわりを3匹のマダニに喰らわれている。
このような姿は別に珍しいことでもない。
ツキノワグマは1000匹単位ものダニに全身をとりまかれながら日々を生きているからだ。
シカやイノシシもそれくらい。
タヌキやキツネだって100匹単位のダニを普通に背負っている。
そして、それらのダニはすべてが宿主の血を吸うわけではない。
「ige抗体」を獲得している宿主に対してダニは喰えず、そのうちに脱落していくからだ。
このため、抗体ができていないグループのマダニだけが新たに宿主を喰らうということになる。

オイラは医者ではないので科学的なことまで勉強してないが、野生動物の観察と経験を通して直感的にこのように感じている。
それは、マダニに自分が喰われたり、飼っている柴犬を通して確信しているからだ。
犬と一緒に旅をして、オイラは現地の山野では犬を自由に放しながら歩く。
このとき、数百km離れた土地では犬が猛烈にダニを背負ってしまい、喰われるからだ。
それなのに、地元に帰ってきて同じように歩いても、一度ダニに喰われた地域ではたとえダニに付かれてもダニが喰らうまでに至らず犬の身体を歩いているだけでやがては逃げ出してしまう、という事実を発見した。
もちろん、犬についたダニは薬で落とすことなく、オイラは犬の全身を丁寧に探って1匹ずつダニを摘んで殺しながら確認している。
犬とのこんな接し方でダニの存在と野生動物の関係を知り、「ige抗体」というものを確信した。
それも、川ひとつ挟んだ対岸でも「ige」グループが違っていることもあり、このような体験から自然界とは何ごとも微妙に適度に闘い無菌状態はよくないことも野生を通して知ることとなった。

この写真は、ツキノワグマから2mの距離での撮影だが、次には30cmくらいの至近距離でダニを撮影したいと思う。その撮影スキルを考え磨くのも、これまたダニとツキノワグマがオイラにテーマを与えてくれているのだから楽しい、ね。
ついでに、ツキノワグマの「耳」の使い方からでもいろんな考察ができて面白い、よ。

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ツキノワグマは日本の「ハイエナ」

20170817 【写真家は見たシリーズ 27 】 

ツキノワグマはスカベンジャー動物である。
アフリカに「ハイエナ」がいるように、ツキノワグマは日本のハイエナ的位置づけと考えていい。
小動物から大型動物まで加齢臭漂う個体は生きたまま襲うし、もちろん死体だって貪り喰う。
縄文時代から今日まで日本の自然界にずっと生きてきたツキノワグマなのだから、過去に土葬時代の人間だってどれほど喰ってきたことか。
イマでいうところの“神隠し”だって、こうした野生動物たちの真の生態習性をきちんと知ればそこは容易に理解できる。
自然や生物を語るには、長い時間軸で目撃しなければならないことをこのツキノワグマが教えてくれた。
深夜人知れず森のなかでこのような宴を開いているのかと思うと、やはり、少しだけ寒イボもでるがツキノワグマの習性を宿してイマドキを生きているのもわかる。
自然を花鳥風月で讃美ばかりしていると自然をはかるモノサシもどんどん狂っていくのだから、こうした世界をのぞき見するのも必要であろう。

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「学習放獣」は手負い熊の増産

20170816 【写真家は見たシリーズ 26 】

このツキノワグマは、左前肢が壊れている。
逆L字形に曲がり腫れ上がり相当に痛そうで、腕をかばいながら三本の足で歩いていた。
ゆえに、かなり気が立っていた。
その原因は、人間による「お仕置き」傷害事件だった。

ある有名観光地の別荘地帯に暮らす家族がいて、ツキノワグマが軒下にやってくるのに気づいた。
このため主人は、3.6mの角材先端に五寸釘を10本ばかり打ち込んだお仕置き棍棒をつくり、そのクギでツキノワグマを痛めつけたのだった。
角材は小型重機に縛りつけ、ゴムの力で弾力をつけ、それをロープで引っ張って部屋の中から操作するという方法でツキノワグマにダメージを与えたのだ。
こうして痛めつければ、ツキノワグマは恐れをなして二度と庭先には出没しないと考えたらしい…。

しかし、主人の思いとは裏腹にツキノワグマは一向に立ち去らなかった。
そこで、オイラに原因究明の観察依頼をしてきたのだった。
この傷害行動でツキノワグマはすでに、人を恨み凶暴となっていた。
オイラが夜間に観察していても、何回も車に平手打ちにやってきたからである。
車の窓からレンズの先端だけを出して撮影しては、クマの動きに応じて窓ガラスを締めるという操作がつづいた。
パワーウインドーではとっさの作業ができず、昔の回転式手動ノブのほうがどれだけ緊急性に優れているのかをこのとき痛く知った。
それは、ツキノワグマが車に平気で手をかけるのだから窓の隙間に爪が入りそのまま外にあの力で引っ張ればどのような結末になるかは容易に想像がつく。なので、爪が入らないように窓を閉め切ればまずは安全確保ができたからだ。これがブラインドテントだったら、恐らくズタズタであろう。
この撮影を通してツキノワグマにも相当な感情があり、痛めつけた本人以外に人間を憎悪することがわかった。

なので、これまで「お仕置き放獣」や「学習放獣」などと人間に都合のよい解釈だけで檻やワナで捕まえたツキノワグマを野に放してきたが、これはまちがいなく“手負い熊”の増産を意味しているから危険きわまりない愚行だとオイラは言いつづけてきた。
ツキノワグマは憎悪の表情を隠したままポーカーフェイスでいきなり攻撃行動に出てくるのだから、クマの心理を読みとることは極めて難しい。
まあ、実際に現場に立って観察してみればツキノワグマという動物がよく理解できる、と思う。

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ハクビシンの敏捷性


20170810 【昔の写真が出てきます シリーズ 12 】

ハクビシンといえば、1970年代はまだまだ非常に珍しい動物だった。
それが、1980年代にはいると普通の動物となった。
そして、いまは2010年代だが、ここ30年ばかりの当地では微増はしたものの爆発的増加とはいえないカンジにある。
むしろ、人口密集地などでは激増傾向にあるのか…。

まあ、増えた減っただけで自然界を語ってお終いにすることは多いが、写真家としてはやはり写真のクオリティーというものを当時から考えていた。
自分のもてるスキルに挑戦する意味でも、そこは大切なファクターだ。
ハクビシンを知るにはポートレートの記念撮影だけでなく、生態の裏側まで知るヒントになる写真もクオリティーの一部だからである。

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コウモリに怒るタヌキ

20170812 【写真家は見たシリーズ 24 】

タヌキが「けもの道」をトボトボと歩いてきた。
すると、コウモリが飛んできた。
そのウザさに、タヌキは怒った。
こういうことも、自然界では日夜繰り返されているのだろう。
その事実を私たちは目撃できないので知らないだけなのだ。
無人撮影ロボットカメラは、そうしたコウモリとタヌキの関係をちゃんと見届けていた。
そして、このたった一枚の写真から多くのことが分析でき次なるヒントに向かうことができる。

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写真は独自の視点で独自路線がいい…

20170729 【写真家は見たシリーズ 19 】

ときには、モノクローム写真もいいものだ。
何気に放置カメラが記録する映像にも、次なる撮影ヒントが満載なのがいい。

カメラマンの撮影モラルがどうのこうの云々、重箱の隅つつきの昨今だが。
一本のサクラや温泉に入るサルの数よりも多くの「人」がそこに集まればいろんな「我」も出てくるものだ。
他人が気になるならば、そういうところに行かなければ良いのある。
要するに表現力がないから、他人のやることが気になるだけなのだ。
自分だけのオリジナルな視点、映像、言葉…、それが表現者の基本ではないのか、な?

オイラは群れないし亜流撮影もやらない。
自分の表現はたったひとりで教科書をつくっていけばいいと思ってずっとこれまでやってきた。

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