野生フクロウが夜間に獲物を追う行動軌跡

20170918 【昔の写真が出てきますシリーズ 17 】

フクロウが獲物に向かう飛翔軌跡をコマ落としで一枚の画面にどうしても撮影したい、と思っていた。
1秒間にストロボが8回発光するように特殊ストロボを調整してみた。
計算どおりに絵コンテを描き、そのとおりに野生のフクロウが軌跡を追う。
これがズバリ決まったときの気分のよさ。

人間のモデルのように約束事や演出のきかない野生動物相手に究極の技のぶつかりあいは、まさにオイラに奇跡を起こしてくれた。
このような撮影法はもうイマドキでは懐古感あふれるものだが、30数年前のオイラには技術的にどうしてもクリアーしなければならないことだった。

メカトロニクスのスキルだけではなく、それ以前にフクロウがどのような行動を示すのかを確実に知り得ていなければならないからでもある。
その撮影チャンスは、一年間のうちで秋の一ヶ月間にしか集中していない。
それは、野生のフクロウを年間通してきっちり観察していればどこで撮影させてくれるかがわかるというものでもある。

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「死」を考える…

20170914 【昔の写真が出てきますシリーズ 16 】

「死」の写真集を出版したのは、1994年。
この4年前にはすでに撮影が終了していたから、自分のテーマとしては30年も昔のことになる。
このようなテーマで撮影するキッカケにはさまざまあるが、現代人が自然に対して大きな忘れものをしていることに気づいてもらうため、だった。
死後は妊娠期間とほぼ同じ時間で土に還っていくという自然界のルールがあり、そのプロセスに細菌も含めてあらゆる生物の登場が隠されていることを写真家として視覚言語で伝えたかったからだ。
いわゆる「九相図」を人間でなく動物にモデルになって語ってもらっただけのこと…。

当時、これを発表したら自然を美化賛美しているだけのネイチャーフォトカメラマンやファンは一斉にオイラの元から逃げ出していった。
それでよかったのだけれど30年経ったいまごろになっても、この死のテーマに出会って慌てる人たちを見るのは滑稽だ。
今年のように「ノロウイルス」やら「貝毒」やら「0157」…などの出現にうろたえる現代社会にとんでもヒントのあるテーマなのだけれど、「死」をきちんと理解するにはまだまだ時間がかかりそうな気がする。
まさに、腐らない写真で時代を撃ちつづけることの面白さに、オイラはひとりほくそ笑んでいる。
・・・「死は次なる生命をささえる」。

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ツキノワグマあと3日の余命

20170908

数日前の雨降りの夜に、このツキノワグマは重大な証拠を残してしまった。
そのために、近所の住人たちの知るところとなった。
そして、昨夜、再びある仕事場で目撃されてしまった。
そこで、今日にも地域住民と行政との協議がなされ、明日にも捕獲の準備がはじまり、明後日にはたぶん昇天という手順になるのだろう。

オイラは30年もこの地域でずっといろんな野生動物の動向をさぐってきているが、ここ10年ばかりはツキノワグマもほんとうに数が増えてきて毎年何頭も殺されているが一向に減る気配はない。
それだけ、周辺環境の自然が「盛っている」と判断している。
捕殺に対して、良いとも悪いともオイラはコメントしない。
捕殺のデータを取ることも自然観察には必要なことであり、さらにイマの周辺環境の「かんざつじねん」こそが大切なイマドキの観察者の視点だと考えているからだ。

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亜流はオリジナルをなくす

20170904 【昔の写真が出てきますシリーズ 15 】

北海道の知床の川にヒグマがカラフトマスを捕まえにきていた。
こんな写真をアラスカなどではなく、日本国内で撮影したいと思っていた。
もう、30年も前から思い続けていたイメージである。
それが20年ほど前に、ついに撮影できた。
しかし、この写真を当時連載していた雑誌に載せようとしたら編集者から却下された。
「これは、既視感がある。宮崎がこのような写真を撮ってきてはいけない…」
なるほど、悔しかったけれどオイラはここで考えた。
信州から北海道まで出かけていって、旅行写真を撮っていてはいけないのだ。作家ならやはりそこは、独自なオリジナル写真を撮ってこそポジションが固まるというものである。
いい編集者に恵まれることは大切なことで、また、オイラを鍛えてくれた。
だから、いまでもその編集者とは良い関係でお付き合いができている。

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都心の公園にもマダニはいるのか…?

20170821 【写真家は見たシリーズ 29 】

東京の上野公園でネコが昼寝していた。
なかなかに優雅でいい光景だ。
ところで、緑豊かな都心の公園だけれど、この緑のなかにマダニはいないのだろうか?

オイラ再び柴犬を飼うようになって山野でリードなしの自由行動をさせていると、マダニの多さにはビックリしている。
とにかく、藪という藪にはどこにでも生息しているといっても過言ではないからだ。
里の山でも、歩道や車から一歩踏み出す程度の藪にもマダニは確実にいる。
犬連れ散歩でも、その事実に一般の人はほとんどが気づいていないと思う。
まあ、それが自然界というところなのだから知らないでいることのほうがいい面もある、が。

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ひっつきむしに利用されるツキノワグマ

20170901 【写真家は見たシリーズ 35 】

ツキノワグマの乳首が3つ。
右側にも3つあるはずだが、角度と体毛によって見ることはできない。
この乳首は、子育てをしている若い母親のものである。
臍も見える。
キンミズヒキの種子が10個ばかりひっついているのも見える。
普段なかなか見ることのできない野生のツキノワグマの腹部だが、無人撮影ロボットカメラだと思わぬ発見をさせてくれるものだ。
森のなかでは大きくて強いツキノワグマが、キンミズヒキという小さな植物に種子の「運び屋」として利用されているのがオモシロイ。
こうして野生動物たちを撮影していると植物たちのほうが自然界では実は上なのではないのか、と思えることが多々ある。

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疥癬タヌキの出はじめの頃

20170823 【昔の写真が出てきますシリーズ 14 】

1980年代前半に、タヌキの疥癬がちらほら報告されはじめた。
いつか、猛烈な「疥癬タヌキ」を撮影したいと思っていたらやっと撮れた。
以来イマでもことあるごとに疥癬を意識して見てきているが、いろんな野生動物にも蔓延して、減ることはなくても周期的に出現してきているのだから維持され続けていることは確かである。

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いまから30年後の野生動物に対する意識…

20170824 【写真家は見たシリーズ 32 】

通学路にイノシシが出た。
民家脇にツキノワグマが出た。
街中にサルが出た。
自然豊かな長野県でもそんなことが頻々すると、親はヒステリックになり子供は不安を覚え市民の「子供見守り隊」が出て通学路を見張る。

それを、幼児体験豊かな団塊の世代はけっこう笑って見ている。
40~50代のガリ勉世代は、自然はやがて滅びるのだから自然と共存して守ろうという意識が強い。
ゆとり世代のヤンパパママは、絵本や縫いぐるみでしか野生動物を知らないからパニックになる。
そして、イマの子供世代が大人社会となる30年後には自然や野生動物とは戦わなければならないという意識になっているのではないのか、とオイラはイマドキの社会心理を分析をしている。

純野生の雄イノシシは警戒心が非常に強いから生態写真をきちんと撮ることは難しい。
しかし、赤外線カメラでひっそりと無人撮影していると雄イノシシがけっこうたくさん生息していることに気づく。
雄イノシシは元気で荒ぶれてどんどん種付けをしていくから、30年先を見越せばイノシシはまだまだ人里に出没して「見守り隊」の世話にならざるをえないだろう。
いま、通学路で守られている子供たちが親の世代になるころには社会の自然に対する意識も大きく変わっていると思う。
その意味では、イマをきちんと見届けて分析して発信しておくことは大切なこと。

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野生動物には寄生虫うじゃうじゃ…

20170822 【写真家は見たシリーズ 30 】

あるところで、ツキノワグマの解体がはじまっていた。
そこに知り合いがいたので、ちょっと見学させてもらった。
兼ねてから「寄生虫」には興味があったので念のために、と。
で、いるわいるわ内臓にはアニサキスのような旋毛虫がわんさか(黒矢印)。
筋肉にも、同じような寄生虫が見られた。
よく、野生動物の肉を刺身で食べたという人がいるけれど。
それは、やっぱり、豪傑というものだ。

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マダニ vs 動物たちの 「ige抗体」対決

20170820 【写真家は見たシリーズ 28 】

このツキノワグマは、目のまわりを3匹のマダニに喰らわれている。
このような姿は別に珍しいことでもない。
ツキノワグマは1000匹単位ものダニに全身をとりまかれながら日々を生きているからだ。
シカやイノシシもそれくらい。
タヌキやキツネだって100匹単位のダニを普通に背負っている。
そして、それらのダニはすべてが宿主の血を吸うわけではない。
「ige抗体」を獲得している宿主に対してダニは喰えず、そのうちに脱落していくからだ。
このため、抗体ができていないグループのマダニだけが新たに宿主を喰らうということになる。

オイラは医者ではないので科学的なことまで勉強してないが、野生動物の観察と経験を通して直感的にこのように感じている。
それは、マダニに自分が喰われたり、飼っている柴犬を通して確信しているからだ。
犬と一緒に旅をして、オイラは現地の山野では犬を自由に放しながら歩く。
このとき、数百km離れた土地では犬が猛烈にダニを背負ってしまい、喰われるからだ。
それなのに、地元に帰ってきて同じように歩いても、一度ダニに喰われた地域ではたとえダニに付かれてもダニが喰らうまでに至らず犬の身体を歩いているだけでやがては逃げ出してしまう、という事実を発見した。
もちろん、犬についたダニは薬で落とすことなく、オイラは犬の全身を丁寧に探って1匹ずつダニを摘んで殺しながら確認している。
犬とのこんな接し方でダニの存在と野生動物の関係を知り、「ige抗体」というものを確信した。
それも、川ひとつ挟んだ対岸でも「ige」グループが違っていることもあり、このような体験から自然界とは何ごとも微妙に適度に闘い無菌状態はよくないことも野生を通して知ることとなった。

この写真は、ツキノワグマから2mの距離での撮影だが、次には30cmくらいの至近距離でダニを撮影したいと思う。その撮影スキルを考え磨くのも、これまたダニとツキノワグマがオイラにテーマを与えてくれているのだから楽しい、ね。
ついでに、ツキノワグマの「耳」の使い方からでもいろんな考察ができて面白い、よ。

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