鳥インフルエンザ

長野県の諏訪湖。
湖畔を老婆がひとり、ぼちぼちと歩いてきた。
老婆の手には、小さなマーケットのポリ袋。
その中には、どうも、パンが一斤ほど入っているようすだ。
老婆は、やがて、水辺にたちどまった。
それをみて、数羽のハクチョウが「コゥー」っと鳴いた。
カモたちはすでに岸辺に先を争って集まってきている。
遠くから、ドバトも老婆に向かって数羽が飛来してきた。
老婆は、マーケットの袋に手をいれて、パンを鳥たちに投げてあげた。

「野鳥に安易に餌を与えないでください」
そう書いた看板を立てていた市役所だか県の職員が、その老婆をみつけてかけより注意をしていた。
オイラは、そっと聞き耳をたててみると。

『ハクチョウにパンを与えると下痢をしてしまいます。
病気になってしまうので餌を与えないでください。
お願いします… 』

そのように聞こえてきた。
老婆は、無言でまだ残っているパンをマーケット袋に入れて、ハクチョウたちを見たまま佇んでいた。

そんな公務員の会話を聞いてしまったオイラは、なんだか腹が立ってしまった。
全国的にハクチョウの餌づけ運動が起きてきた30年ほど前からは、
「おらが町にもハクチョウを呼びたい
ハクチョウがやってくるようになれば、観光資源にもなる…」
そんな理由で、全面的にモロテをあげてハクチョウに餌づけをして誘致してきたのはどこのだれだろう…?
それなのに、鳥インフルエンザが取り沙汰されるようになると手のひらを返したように、このような「看板」と「注意」なのである。

野鳥たちは、とても目がいい。
その目で、老婆をちゃんと認識していた。
だから、遠くから歩いてくるのを認めて、老婆の下へ集まってきたのだった。
ちゃんと、大勢の人のなかから老婆だけを見分けている能力のほうにオイラは感心してしまう。
老婆だって、野鳥たちに餌をあたえることが「癒し」になっているのならそれでいいではないか。

役所の職員たちは、看板を立て終えると、その場をすぐに立ち去っていった。
老婆は、まだ水辺に立ち止まったまま野鳥たちをみつめていた。
なので、「その餌ぜんぶ上げてしまいなさいよ」、とオイラが言ったら。
老婆は嬉しそうに、残りの餌をハクチョウたちに投げ与えて無言で立ち去った。

「鳥インフルエンザ」が私たちにクローズアップされるようになったのは、2004年に京都で起きたニワトリの大量死からであろう。
当時は、カモなどの水鳥がインフルエンザウイルスを運んできたとさかんに報道されたが、現地を見た限りでは水鳥よりもツグミやジョウビタキといった陸鳥の可能性が高いと思った。
しかし、これまでにもずっと野鳥たちは「鳥インフルエンザ」を保菌していたハズなのに、このような事件が起きるまで私たち人間はまったく無関心できた。
そして、2004年を境にしてこうまで極端に意識が変わってしまったことのほうが不思議でならない。

ニワトリだって私たちに都合のいいように、一箇所に何十万羽といった数を集めて大量飼育し、しかも体質的にも偏ったものばかりを囲っていけば、ひとたび強烈なウイルスに接すると全部が転んでしまうようなことになることは容易に想像がつく。
すべてが、無菌化状態になっていくと、コトがマイナス面に働いたときにはダメージも強烈であろう。

このことは、人間自身にも言えることであり、「抗菌グッズ」に囲まれ無菌状態になりつつある現代社会の人間の意識にも問題がある、と思う。
このように、無菌化と家畜化が現代人にも進めば、集団社会を築いている人間たちだからニワトリと同じようなことが起きないともかぎらない。
そうしたことはどこか外へ置いておいて、野鳥に餌づけを禁止するようなことだけを前面に押し出しての規制には疑問を感じる。
「餌づけ」には、意識して直接的にやる行為と無意識な間接的「餌づけ」もあることを忘れてはならないからだ。
田んぼや果樹栽培の農業現場だって間接的無意識に巨大な餌づけを行なっているし、林業だって漁業だってみんな「餌づけ」現場だからである。
自然界や社会のリテラシーを私たちはもう少し持ち認識するべきであろうと、ハクチョウ餌づけ現場で思ってしまった今日このごろである。

写真:
1)「団体さんいらっしゃーい」、とつい言いたくなるほどに横着になってしまったオナガガモたち。
2)餌づけと鳥インフルエンザにひっかけた看板。
3)別のハクチョウ飛来地での餌付け現場。
4)人の足の裏にも、ウイルスはついて運ばれるだろう。
5)タイヤにもウイルスはついて運ばれるだろう。
6)飛翔中でも糞をするから、ウイルスは上空からでも降ってくるだろう。

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鳥インフルエンザ への4件のコメント

  1. oikawa より:

    >老婆だって、野鳥たちに餌をあたえることが「癒し」になっているのならそれでいいではないか。
    餌付けに興味があって、調べてみましたが、ちょっと寂しい状況にある方が、餌付けをしているのを良く見かけました。頭から批判されているようですが、そんなに敵にする事なのかな?と思いますね。

    • gaku より:

      人間のやる「餌づけ」なんてのは、微々たるものです。
      それより、間接的無意識の巨大な餌づけをもっと掘り下げて考えるべきですね。
      たとえば、シカの激増ぶりはそのいい例なんですが、ね!

      • c.s より:

        諏訪湖で横河川河口は 冬の水鳥たちのつかのまの憩いの場になり
        人々がいろんな種類の水鳥を観察できたり 自然の学習の場になっています   かつて行われていた危険な銃猟がなくなって何年も経ってやっと築くことのできた姿ですね
        観察や撮影や 餌やりなどを通して 人々の交流の場にもなっています
        鳥たちも人間の与えるものに依存しているだけでなく
        藻や水草の根や 水生昆虫や魚 時には丘に上がって芝や草の種などを食べて暮らしています
        また 餌やりをしているかたも パンの耳や米 菜っ葉などをくれているので害にはなっていないと思います
        こんなに市街地で身近に安全にたくさんの水鳥を観察できる場所は意外と少ないと思います 人間もそれらと触れ合うことでメリットがありますね 

        • gaku より:

          行政のやることは杓子定規で、それを真にうけてステレオタイプの人間が増えていくことがおかしな世の中になってしまいました。
          もっと、一人ひとりが時代のなかで「リテラシー」をもつべきだと思います。