「獣と人間が共生していくために」


つい先日、「獣と人間が共生していくために」というテーマで農業団体の前で講演してきた。
農業に従事している方たちばかりだから、普段の講演とちがって話しの的が絞れるから「楽勝」と思っていた。
しかしながら、会場で参加者の顔を見ているとあまりにも引きつっていることに気づいた。
オイラにとっては普通なことでも、参加者にとっては普段の考えとのギャップが大きすぎての反応だった。
もちろん、誰も居眠りをしているようなヒトはいなかったが、これまでの半世紀に及ぶ平和で経済だけを求め見て来た「時間」が農業者にとっては自然環境下で仕事をしていることの意味理由を忘れさせてしまっていたからだ。
「獣害」で悩みはじめているのに、そこに至るまでのプロセスと原因と結果と今後の対策とこのままでの将来予測を伝えたのだが、理解するまでには相当に時間がかかりそうな予感がした。

そのまた前日は、オイラ自身の勉強のために長野県内の行政が中心となって開いた「○○の野生獣害対策について」というシンポと講演会に参加してきた。
結果はほんにお粗末で、まったく「対策」になっていなかった。
現場に立って何を見て判断して対策結果に結びつければよいのか、といった答えがひとつもなかったからである。
ここにも、写真家として日々現場でナンボといったオイラのスタンスとは大きなギャップが見てとれた。
まあ、自分を知り社会ニーズを知るためにも、こうしたシンポにはときどき顔を出して勉強したほうがいいのかも知れない。
そこには、獣害を招いている人間社会を研究観察するための絶好な雰囲気(人間模様)が見られるからである。

写真:散弾銃弾痕のある波トタンを背にしながら仲間の死体を前にする捕獲サルたちの心境は、いかに。

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