『環境というけれど…』


最近ここへきて、急速に「環境」への関心が高まってきている、ようだ。
その証拠に、ボクのところへいろんなオファーが殺到している。
講演、企画、テレビ出演、雑誌連載…etc
いまさらここへきてブームのように、環境への関心が高まってくるのも困る。
ボクは何十年も前からエコロジー的に系統だてて環境写真を撮影してきているのだから、無関心だった人たちが慌てて環境を謳うことに違和感を覚えるし、そのような人たちをにわかに信用できないと思っている。
写真家としてボクは、人間も「地球のほんの片隅に住まわせてもらっている野生動物」という位置づけで、これまで自然界をずっと見つづけてきた。それは裏を返せば、人間も自然界に生きる野生動物たちと同じ土俵に生きているということであって、世代交代の早い動物たちの生き死にをみつめればおのずと人間も見えてくるからだ。
そのために、人々が目をそむけるような動物の死体やゴミの山などへもきちんとレンズを向けてきた。
だから、自然を「美しい」「すばらしい」「守ろう」と、花鳥風月的に賛美するだけで次の言葉をもてない写真家や環境論者たちとは一定の距離をおいて、これまでやってきたのである。
自然保護ではなくて、自然に保護されているのが私たち人間。
そこに気づかないかぎり、うわべだけの「環境」を語ってもそれは無理だし、理解するまでには相当な時間がかかるだろう。
「アニマル黙示録」を雑誌フライデーで連載したのは、1995年のこと。「アニマルアイズ」シリーズを撮影してきたのは30年も前からである。これらの写真に何が写っているのかを読んでもらいたい。それができないと、ボクの環境視点を知ってもらうにはまだまだ時差があるように思えてならない。環境とは、「環=たまき」の「境=さかい」を知ることに尽きるからである。
写真:湿度と気温のある条件がかさなったとき、人工光によってホルモンを撹乱される昆虫たちが多数いる。そして、この虫たちはここで死ぬ。

カテゴリー: 旅・取材・人   パーマリンク

『環境というけれど…』 への3件のコメント

  1. OIKAWA より:

    何故、自然を守らなくてはいけないか?それを誤解しているような気がします。宮崎さんのおっしゃるとおり、人間は、自然に生かされているというのを理解しなくてはいけないと思います。ある途上国では、援助で乳児死亡率を下げる努力をしました。人間道徳的には正しい事なのだと思います。しかし、数十年後、その地域では、飢餓が襲い多くの人が苦しんでいると聞きます。これは、ほんの一例かもしれませんが、人間が、生物の一員である以上避けられない事なのだと思います。

  2. はな より:

    gaku先生・OIKAWAさん こんにちは!
    「自動販売機シリーズ」は先生の作品の中でも好きなシリーズの一つです。
    真似して撮影しようとしてるのですが・・観察眼のないせいもありいまだかないませんです・・。
    >「アニマル黙示録」を雑誌フライデーで連載したのは
    ・「フライデー」楽しみに拝読しておりましたょ!もっと見たいと・・次が待ち遠しかったです。密かにまた始まらないか待っている一人です。

  3. gaku より:

    OIKAWAさん、こんにちは。
    >何故、自然を守らなくてはいけないか?それを誤解しているような気がします。
    そこなんですよね。
    自然保護と人間はいうけれど、人間が自然を「保護」なんてできるはずないです。
    人間も、自然に保護されていることに気づいていないのが、悲しいです。
    自然を保護する前に、人間が危ないのですから。
    はなさん、
    >密かにまた始まらないか待っている一人です。
    そのうちに、どこかではじまります、って。