時代を読むオモシロさ…


12月も中盤になると、もう今年もお終いだと覚悟を決めなければならない。
そして、この時期になると、カメラメーカーなどから忘年会やら新年会へのお誘いメールもよく入ってくる。
また、写真賞のノミネート依頼の書類もたくさん届くものである。
忘年会やら新年会には、こんなときとばかりに顔つなぎに奔走する同業者もいるだろうが、ボクはわざわざ顔を出すほど暇ではないのでほとんどをパスしている。
写真賞も、大きなものから小さなものまでほとんどすべての依頼がきているが、なかなかに推薦できる作家や新人も少なく毎年のことのように人材探しに苦労も、している。
そんな師走のなか、別件で上京してきた。
ふだん田舎に生活していると、たまに上京すれば刺激もあるしヒントやアイデアも浮かぶから楽しいものだ。


都内を撮影しながら、久しぶりに某大手本屋さんへ寄ってみた。
写真集売り場を見てきたが、目を引くようなものはなかった。
とくに、自然関係の写真集は悲惨だった。
自然を賛美し、愛護精神だけで愛でたファンタスティックな写真集ばかりだった。
これらの写真集の奥付をみて驚いたが、10年も15年も前に発売されたものばかりなのである。
要するに、売れ残ったものだけが書棚に「商品」となっていたのだ。
やはりこれは、読者に飽きられているから、このような路線の写真集の回転が悪いということを物語っている。
ちなみに、オイラの写真集はすべて完売してしまっているので、1冊も書棚にはなかった。
自然は滅びるものとして、誰もが思いそれ以上に自然界全般を理解できていかないと、つぎなる発想力も出てこないものである。
だから、自然は止まったままだと思ってしまっている写真作家も多いのだ。
止まっているのはモノを思考する作家の頭であって、自然は滅びることなく絶えず動き続けているものである。
そこに気づかないかぎり、賛美路線から脱却できないまま、15年前の写真集の作者の顔を思いうかべながら「その後」の仕事振りを見てしまっている自分がいたのには悲しかった。
それだけ「ネイチャーフォト」というジャンルは、もうすべての人たちからは忘れ去られようとしている。
これはいわゆる作家側の怠慢だったから、このような凋落をみてしまったのだった。
残念なことだけど、これだけはボク自身もどうすることもできないから自分の路線をしっかり歩むしかない。
けっきょく買ったのは、荒木経惟さんの文庫本だけだった。
あの人は、エコロジーをちゃんと知り尽くしているヒトだから、写真家としてほんとうに面白いと思う。
そんなことを思いながら、久しぶりの東京で街角スナップをしてきた。
都会の街角には人間生態学がどっさりつまっているから、ボクはハマッてしまっているのだ。

カテゴリー: 哺乳類・野生動物   パーマリンク

時代を読むオモシロさ… への1件のコメント

  1. 小坊主 より:

    証明写真ボックスの、このポスターの女性、どことなく惹かれるものがあって、私も、好きです。