野生動物たちに人間は巨大「餌づけ」をしている


人間が活動するために林業や漁業、農業、畜産 … など、あらゆる生産現場は野生動物たちに巨大な「餌づけ」場所を提供している。
ツイッターで、そうつぶやいたら、「それは乱暴だ」と言われてしまった。
世の中には「自然保護潔癖症候群」の人は多いから、このような意見も出てくるのだと思う。
そういう人は、人間と自然を切り離して見てしまっているから、人間サイドからの物言いとなるのだろう。
人間だって、地球のほんの片隅に住まわせてもらっている野生動物であり、すべての生態系に組み込まれている生きものである。
だから、地球上での人間の存在を切り離して考えてしまうことはやっぱりマズイし、生きものたちの視線から自然環境や人間社会をみれば、ほんとうにいろんなことがよく見えてわかることだからである。
オイラの視点は、いつもこうして人間をエコロジーの原点において自然環境を考えているから、巨大な餌づけなんて言葉は当たりまえに出てくるのである。

北海道の羅臼港でみた魚の仕分け現場。
カラスがセイコガニをくわえているが、カモメやカラスにとってはこうした魚場は歓迎すべき「さかな定食屋」さん、なのである。

北海道の標茶町を走っていたら、ハクチョウたちが雨水のたまった畑に憩っていた。
そこは、広大なトウモロコシ畑で、トラクターが収穫を終えた後だった。
畑には、大量のトウモロコシ粒が散乱しており、それらがハクチョウの格好な餌となっていたのだった。

長野県では、広大な田んぼにするべく土地改良事業があった。
その脇に立つ冬枯れの樹枝にオオタカがひっそりと止って獲物を待っていた。
田んぼには、生産調整で米の代わりに「蕎麦」が植えられ、その「新そば」をトラクターで収穫したばかりだった。
蕎麦の実がたくさんこぼれているから、ドバトがそれらを拾いに群れていた。
ドバトは、オオタカにとってオイシイ獲物であり、田んぼ一枚から食物連鎖までがみえてしまう。

滋賀県の琵琶湖に注ぐ河川には、稚アユを捕獲するための仕掛けがつくられていた。
そのいけすには、魚を狙ってアオサギやシラサギたちがさりげなく餌獲りにきていた。
防鳥ネットもなんのそのアオサギはネットをくぐって魚を盗んでいく。

宮城県の銘柄米「ささにしき」の生産現場である田んぼには、マガンたちが群れる。
マガンたちは、銘柄米の落穂ひろいをしながら越冬生活をしているのだった。
そして、沖縄では「水いも」が水田に植えられた直後であり、このような環境はシギたちにとっては水棲昆虫などを餌にするから絶好な「餌場」となる。

おなじく沖縄では、トラクターが田んぼを掘り起こせば、そこから昆虫やカエルなどが飛び出してくる。
それらを餌にシラサギたちが群れていた。
そして、右の写真は沖縄名産の「うこん」を収穫している現場にも、アマサギがずっと餌づいていた。

沖縄の西表島では、ショベルカーが土を起こし、ダンプカーがそれを建設現場に運んでいた。
その作業を、台風で立ち枯れとなった樹頂で天然記念物のカンムリワシが見守っていた。
カンムリワシは、ショベルカーが冬眠中のカエルを掘り起こしてくれるのを待っていたのである。

春になれば、日本人は全国的にサクラを待ちわびる。
そのために、どんな公園にも「桜」を植えまくってきている。
桜の花の蜜は、メジロやヒヨドリたちには大好物。
嘴を花粉で黄色く染めたヒヨドリが頑張れば、受粉作業の効率もあがるから、2ヵ月後にはサクランボが実る。
そのサクランボを食べに、ツキノワグマがやってきている公園もあることを忘れてはならない。
「餌づけ」とは、人間が直接的にやることだけを指している人は多いと思う。
しかし、間接的「餌づけ」もあることを忘れてはならない。
また、意識的にする「餌づけ」と、無意識にしている「餌づけ」。
そう考えてみると、人間が直接「餌づけ」をやっている行為なんて、大きな自然界からみれば大したことではない、と思えて仕方がない。
昨日も、北海道から羽田空港まで飛行機で帰ってきたが、眼下に見る東北や北関東地方の山野の大きさはものすごいものがある、と感じた。
その山野のほとんどが、すでに人間によって改変された日本の自然風景でもある。
それにくらべ、人間の巣でもある人家集合地帯なんて、ほんとうに小さなものだとも感じた。
しかし、その風景のなかにもツキノワグマやニホンジカ、イノシシ、サルたちは確実に生息している。
そうした風景がほんの少しでも彼ら野生動物たちの生息にプラスとなる環境異変が起きれば、そこには膨大な数の野生動物たちが生息可能となろう。
ニホンジカ、イノシシ、サル …
この大型野生動物たちが確実に激増していることは、誰もが認める自然環境変化である。
それなのに、同じ土俵に生息している「ツキノワグマ」だけが絶滅するほどに「減少」しつづけているなんてまったく考えられないこと、である。
いまある自然界をどう見て捉えていくか、それも自然を見つめる私たちの視線であろう。
飛行機で見る日本の巨大な山林という「餌づけ」現場を知れば、野生動物たちは滅ばないが、その環境をたしかな視線で見れない私たち人間の心はすでに滅んでいる、と思っていい。
上空や地上から、マクロやミクロの視線で、オイラはいつも複眼発想しながら自然環境と人間社会を見続けたいと思っている。
それこそが、「視覚言語」といえる写真家の視線、だからである。

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野生動物たちに人間は巨大「餌づけ」をしている への5件のコメント

  1. oikawa より:

    人間が直接する餌付けですが、悪いことばかりでもなく、癒し効果もあるので多少は多めに見ても良いのではないかと思ってしまいます。特に都会に住むちょっと寂しい人もこれで癒されているのではないかと思っています。
    http://blog.goo.ne.jp/oikawa_12/e/ad832ef4918a8ae9f349d6474cf88e23

  2. クワ より:

    哺乳類や鳥に留まらず、昆虫にも人間は餌付けしていますね。農作物を作れば、ある種の昆虫に膨大な餌を提供している訳ですが、それを「害虫」としか考えないのは、仰っているように「地球上での人間の存在を切り離して考えてしまう」からでは、と思います。

  3. 自由飲酒党総裁 より:

    トラクターの後ろの白鷺はこちらでもいっぱい見られます。でも、トラクターでないとだめで、耕耘機で耕していても来ません。カラスは耕耘機とか草刈り機(自走式)の後でも来ます。

  4. kaya より:

    この夏北海道沿岸を一周してきた時に、沿岸の国道沿いはカラスだらけ…。車と衝突して落ちた昆虫を食べているようだったものの、昆虫のいない時期はどうやって生活しているのか疑問でしたが、漁港の写真でその疑問も解決できました。

  5. gaku より:

    ■oikawa さん
    癒し効果は、縄文時代では日本犬を通してありましたから、今でもそれは見直したほうがいいでしょうね。
    人間自身が、重箱の隅をつつきまわって自分たちを窮屈にしていくのが面白いです。
    ■クワ さん
    おっしゃるとおりだと思います。
    ■自由飲酒党総裁  さん
    トラクターと耕運機…、面白い発見ですね!
    ■kaya さん
    ちょっとした観察から、いろんな自然環境のあることを複眼視していくことが大切なのではないかと思っています。